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 快晴の日、街の現状を見るためアシェラは供を連れずヒラニプラの街に出た。ラ・ムーの予言、人々の退廃の現状、世の中の流れ――。巫長は滅多に聖域から出ることがない。水の聖域にいては掴みにくいこともある。巫女とばれないよう頭からすっぽりと被りものをし、水色の衣を纏って街路をうろつく。あくまで、忍びのつもりである。巫長が街に出たいというと、供の巫や護衛など複数の人間を引き連れてのものものしい様相になるので、アシェラは誰にも言わずこっそりと出てきた。護身用に、聖水の代わりをする水の結晶石を懐深く隠している。結晶石は元素の聖域でしか採取できない聖霊の霊気を宿した石だ。
 前に街に出たのは六月前。この頃から街にはすでに衰微の相が見え始めていた。
 尽きない噴水の水が水路に流れ、さらさらとした音色を奏でる。白亜の石で出来た屋敷には、クモやスカラベ(糞転がし)の文様が入ったオリハルコンの装飾が施されている。奥まった区画から男を誘う麝香の濃い薫りが娼館から漂う。露店には大陸全土の産物や海の外の国から輸入したものがある。どれも、法外な値で取り引きされている。栄養が摂れていない痩せ細った子供を使役する裕福な商人がいる。身体中傷だらけの女にさらに暴行を加える男がいる。女が打たれそうになったとき、アシェラは手で目を覆って路地裏に逃げた。
 まさに、歪んだ世相である。ムーの豊かな国情が、貧富の差を別け男女の力差を作ってしまった。遠い昔ムーの国が出来上がったとき、物資は物々交換で取り引きされていた。比較的締まりのない世情なので、好きなように男女は結びあった。二千年前、アトランティスの金で作った貨幣制度がムーに導入され、物資の流通はすべて貨幣で行われるようになった。いつの頃からか、男女の恋にも金銭が絡むようになり、人が身体を売るようになった。生殖の営みに介在するのは情だけである。というのに、人は己の身体を武器にして富を得るようになった。すべてのことが悪循環して、貧富の差が出来た。貧民は奴隷として富豪に買われるようになり、人としての平衡がなくなった。
 結晶石を握りしめ、アシェラは胸に渦巻く悪寒を押さえようとする。喧噪から離れ、人の淀んだ気に邪魔されることなく巫女は霊気を鎮める。
 その時、傍らから手が伸び、彼女の細い腕は何者かに掴まれた。結晶石が石畳の上に音を発てて落ちる。アシェラは瞠目し、相手を見る。そして、身を強張らせる。
「――カーディ殿?!」
 褐色の肌を持ち、目許に狂気と自負を潜ませた青年――サンテレイの貴族・カーディがいた。彼の眼は血走り、口許には不気味な笑みを浮かべている。
「嫌ですね、突然僕の目の前から去られるなど――。そんなに、僕から逃げたかったのですか?」
 ぎりり、と彼はアシェラの腕を握りしめる。腕が折れそうなほど強い力だ。アシェラは呻く。
「どうし…て、ここに?」
 アシェラの身体を向き直らせ、カーディは痛みに顔を歪ませる巫女の面に生暖かい息を吹きかける。おぞましさに、彼女の鼓動が早くなる。
「あなたが、突然僕の前からいなくなるからですよ。こんなにあなたを愛しているのに――」
 硬直する女の身体を逃さぬよう、カーディは固く抱き締める。
 アシェラは唇を噛み締める。
 これが、愛か――? こんなもの、愛ではない。愛はもっと美しいものだ。相手を包み込み、蕩かせ、至福に誘うものだ。相手に恐怖を与えるものは、愛ではない。彼女の脳裏に、愛する人の――ラ・ムーの面影が過る。どんな時も慈しみを絶やさない瞳、穏やかな微笑み、彼女の身体を抱き締める暖かな肱――。無条件の愛を、アシェラは知っていた。
「違います……これは、愛ではありません」
 弱々しいがはっきりした声に、カーディは癇性に眉を上げる。笑いを絞り出したかと思うと、彼は腰に挿していた短剣を抜き放ち、アシェラの喉元に突き付ける。短剣には、血痕が附着していた。
 ヒッ、とアシェラは息を飲む。不浄な気がゆらりと短剣から巫女の頬を翳める。
「そう、あなたはそんなに僕の愛を信じられませんか。僕はこんなにあなたを愛しているというのに――。あなたのために、僕はあなたを奪おうとしているケンテとウォンを殺してしまったというのに。
 なら、仕方がない。こんな方法は取りたくありませんが、巫女としてではなく僕の愛を受けて下さい。そうすれば、きっとあなたは僕を思い知ってくれる」
 アシェラは戦慄く。
 この男は、己の恋敵を殺してしまったというのか。ただの、恋敵だというのに、罪のない人を。恐ろしさにアシェラの目の前が真っ暗になる。
 巫女の抵抗がなくなったのを見て、アシェラのか細い首に刃を充てたままカーディは裏口から他人の家に押し入ろうとする。
 ――この男は、狂気に蝕まれている。恐怖に捕われているわたくしには、この男を浄化する術はない……。
 巫女は状況に左右されやすい。カーディの狂執に心臓を掴まれ、その上、石を地面に落としてしまった。錯綜しているアシェラには、浄化できそうにない。このまま防御もとれず抱かれたら、どうなるか……。
 身体を竦ませるアシェラを易々と屋内に連れ込み、カーディは驚愕する家の持ち主を短剣で斬り付ける。主人であろう中背の男の腕が斬り付けられ、鮮血が噴き出る。細君と思しき女性が悲鳴を放った。
そんな女にも血に濡れた刃先を突き付ける。
「奥方、少し寝所をお借りしますよ」
 恐々として頷き、女は上階の部屋を指し示す。薄気味悪い笑みを浮かべ、カーディは巫女を引き摺り階段を上がる。途中、スカラベ紋の壷や石膏の調度品を短剣で砕き割る。カーディは荒みきっているようだ。乱暴に扉を開けると、アシェラを寝台に突き飛ばした。彼女の頬に麻の敷布の下に詰められた藁の感触が刺さる。慌てて身を起こそうとしたアシェラの喉に、再び短剣が宛てがわれる。
「逃げようとしないで下さい。今からが僕達のはじまりなんですから――」
 至近距離に迫るカーディの目が妖しく光る。そのまま、彼はアシェラの乳房を鷲掴みにし、耳朶に舌を這わせた。
 恐ろしさがアシェラを狂乱させる。暴れて逃げたいが、首に刃を充てられ、適わない。目尻に涙が溜まる。カーディの手は放恣に巫女の内腿を撫でる。
 ――助けて、助けて……ラ・ムー。
 絶望し、アシェラは剥き出しの天を見つめる。
 先程まで雲ひとつなかった空が、分厚い暗雲に被われている。雲を縫って雷光が蛇のように走っていた。突然の天空の変容に、アシェラは目を見開く。
 雷は誰の霊力か。太陽王のなかでも、特に力を持つ者しか扱えない。まさか……。
 アシェラの驚きに気付かないカーディは、狂喜して愛撫を続けている。いつの間にか彼女の胸ははだけ、乳房の頂を吸われている。が、そんなことなど気にならないくらい、アシェラは驚惑していた。
 うねっていた雷光は鋭い光を増し、目に見えぬ早さでカーディの背目掛け落ちる。咄嗟に、アシェラはカーディを突き飛ばし、短剣を遠くに投げると自分も寝台から転げ落ちた。
 稲妻は真直ぐカーディに命中する。男の断末魔の叫びが上がり、一気に発火した。炎はシダの木や藁に燃え移り、素早く炎上する。
 アシェラは袷を掻き合わせると、屋敷の人間を導いて屋外に出る。先刻落とした水の結晶石を拾い、瞼を閉じる。精神統一し、天上に念を送る。
 ――雨よ、早く降れ!
 アシェラは水の聖霊に祷り、雨を呼ぶ。火災を消し止めるために。
 ぽつり、と空から地面に雫が落ち、円形の跡ができる。やがて、大量の雨が外に出ていた人々を濡らした。アシェラも強雨に打たれ、天上を見上げる。
 雷はカーディに直撃した。恐らく、生きてはいないだろう。が、彼は恋敵ふたりを乱心の果てに殺した。生きていても法に裁かれ、死を免れないはずだ。この雷はラ・ムーの、神の怒り。神の意に背いたからには、ムーで生きてはいけない。
 アシェラはぶるり、と身を震わせた。
 狂気は誰の奥底にもある。神の教えに深く触れていた頃の人間は、それに気付かずに済んだだけだ。堕落の一途を辿る人間の上に、狂気はより顕在して現れてくるだろう。狂おしさは――己の内にもあるはず。暗い予感が、巫女のもとにひしひしと迫る。
 アシェラは雨が降るに任せ、王宮に足を向けた。

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 王宮に入ると、アシェラは水の巫の寄宿舎になっている大陽の塔に行かず潔斎場に入った。勢いの衰えない雨が茂った森を容赦なく打つ。ムーの建造物は屋根が少ない。潔斎場についている巫女達は雨を避けて数少ない屋蓋のある建物に逃げ込んでいる。
 禊場につくと、人がいないのを幸いに、アシェラは全裸になり泉に入った。強い霊力に満たされた滝に叩かれながら、彼女は嗚咽する。カーディに嬲られた箇所に、霊気が痛みとなって染み込む。
 ――凋落を辿る人を救うには、巫女は余りにも無力だ。
 救いたかった。カーディを、ウォンを、ケンテを――。神の嘆きを止めたかった。が、暴走した彼らを前にすると、巫女の力はないに等しい。カーディに組み敷かれ、アシェラはただ恐怖に身を竦ませるしかなかった。ラ・ムーが止めに入らなければ、あのまま犯され、アシェラ自身も闇に飲まれていただろう。神は光、闇のその対極にある。ムーの人々は闇の磁力に引き寄せられている。神の慈悲がなければ、人は光を保つことなど、出来ない――。アシェラは唇を噛む。
「そんなことはない」
 背後から声を掛けられ、アシェラはびくりとして振り返る。
 瞳に哀切を滲ませた太陽王が、着衣のまま滝壺に入ってくる。アシェラは呆然として近付いてくるラ・ムーを見つめた。が、己が何も身に付けていないことを思い出し、背を向けて身体を隠す。そんな彼女の身体を、暖かく力強い腕が包み込んだ。痛い程に抱き竦め、王は巫女の耳許で囁く。
「神は人を見放してなどいない。神はいつも我々を慈愛で包んでおられる――」
 まるで心を読んだかのような応えに、アシェラは目を見開く。ラ・ムーに向き直り凝視する。
「――こころを読めないとおっしゃったではないですか。どうして……?」
 前に王は今こころを読む力はないと言っていた。だというのに、今の答えは……。
「それに、わたくしが窮地に立ったとき、雷を落として助けて下さったのは、あなた様なのですね? 雷を操るのは、余程強い力を持つ太陽王しか出来ないのに……」
 王は偽りを口にしたのか。が、確かに到着してすぐに交わったとき、王の霊気は沸点に達していた。
 ラ・ムーは哀しげな笑みを浮かべる。
 暫く、ふたりは滝に打たれ続けていた。が、自然と唇が重なる。互いの霊気を感じない、こころだけが通う接吻だった。深く貪りあい、息を交じらせあった。
 アシェラの身体を抱え上げると、王は潔斎の室に入る。巫女の濡れた身体を寝台に横たわらせ、自らも裸になる。
 寄り添ってくるラ・ムーの身体から何かが伝わってくる。太陽の霊気ではない。アシェラが抱く想いと同質のなにか。切なさや苦しさ、情熱だった。アシェラは肌から伝わってくる情熱に喘ぐ。
「王……」
 言うアシェラの声を、王の指が遮る。ラ・ムーはアシェラの耳に唇を寄せ、囁く。
「……ベールだ。わたしが太陽王となるまで名乗っていた本当の名だ」
「ベール?」
 問い返すアシェラに、ベールは頷く。
「今からわたしが為すことに、おまえは耐えてくれるだろうか。おまえはわたしを許してくれるだろうか。おまえを苛もうとした男達と同じと、軽蔑されないだろうか――」
 言われた内容に、アシェラは瞠目する。
 彼女の頬に触れる彼の手が震えている。恐らく、巫として為してはならない行いを、ベールは――太陽王は為そうとしているのだろう。ムーの祭祀の頂点にいる太陽王は、普通の巫よりも厳しく己を律しなくてはならない。アシェラは己の熱情は禁忌なるものと捉え、忌んでいた。が、太陽王自身同じものを感じ、苦しんでいたというのか……。
「……王は、それで……」
「ベール、と呼べ」
 言葉を止められ、アシェラは言い直す。
「……ベール様は、それでよろしいのですか。太陽王としての道を踏み外すことになっても、よろしいと思っていらっしゃるのでしょうか」
 アシェラの科白に、ベールは苦笑いする。
「覚悟など……太陽王に相応しいかといえば、わたしはもとより相応しくない。
 わたしはアッタルやおまえに言い寄る男達に嫉妬していたのだから」
 アシェラはさらに目を見開く。それが、彼のこころなのか。
 何も言えないでいる彼女の唇に、ベールは唇を落とす。軽く啄み放れた顔に、アシェラは自嘲の笑みを浮かべていた。
「わたくしはあなた様の為すことなら、なんでも受け止めたいのです。わたくしも、あなた様が他の方に同じことを為されると、身を斬られるように苦しみますわ。だから、軽蔑されるかなどと聞かないで下さい。
 身に合わない霊力を持つ人に身構えなく抱かれ、身体を灼かれても、わたくしは本望なのですから」
「……そうか」
 アシェラの想いに微笑み、ベールは彼女を強く抱き締める。
 身体に障りがないようにだけ、護身のためふたりは霊気を込める。互いの想いを通わせるのに邪魔にならないようにだけ霊気を交換させた。
 カーディに愛撫された箇所を浄めるように、ベールの唇がアシェラの肌を過る。いつもは霊気を感じることにだけ集中していた。が、今はこころを感じることに神経を澄ませている。敏感な感性に切なさと熱情が触れる。それだけでアシェラはいつもとは違う反応を見せた。巫女としては触れられない感触、熱。ベールが発する熱は太陽の霊気ではなく、彼の魂の熱だった。同じ熱を、彼も感じているのかと、アシェラは高まるままに思う。
 隙間なく繋がる身体の蠢きに、ふたりは罪を感じる。巫として背徳的な行為――そう思えば思う程、ふたりは燃え上がる。どうすることもできない甘美の頂に連れ去られ、ふたりはともに弾けた。
 荒い息を吐くベールに、アシェラは涙を滲ませる。
「……アシェラ?」
 傍らに身を移した温もりに、アシェラは抱きつく。汗の匂う胸に凭れ、震える声で告げる。
「……情を交わすことが、こんなに苦しくて切ないものだとは思いませんでした。
 わたくしははじめて、巫女として生きる哀しみを知りました」
 神に背いてしまった事実をひとつも悔いていない己がいる。もう、何も知らなかった日々には戻れないかもしれない。アシェラは踏み出してしまった一歩の重さを噛み締める。
 何も知らないほうが、よかったのかもしれない。愛する人に抱かれる痛みと甘美を諸共に抱え、アシェラは愛する人の胸に頬をすり寄せた。
 ベールは熱の籠る涙を唇で吸い取る。
「……そうだな。おまえが悔いているように、わたしも苦しんでいる。
 神にあわせる顔などないな――」
「そんなッ――!」
 アシェラはベールの面を直視する。漆黒の長い黒髪がさらりと揺れ、アシェラの額に掛かる。彼女は目を閉じる。濃厚な口づけを交わし、ベールは寝台を降りた。
「他の者には誤摩化せても、神を欺くことはできないだろう。
 結局、わたし達も神の意に背いたことになる」
 アシェラは上肢を起こして上掛けで胸を隠す。洗い晒した白衣を纏う太陽王の背を凝視する。
「――これは、罪なのでしょうか。押さえようとしても押さえられない想いが堰を越えてしまった。これが、罪なのでしょうか。
 わたくしは、あなた様と情を交わしてしまったことをずっと嘆くのなら、巫女を辞めてしまいたいのです。
 ずっと自分自身を怖れていました。わたくしも、カーディ殿達のようになってしまうのではないかと――。許されぬ罪を犯して、わたくしは喜びを感じている。そんな自分が、さらに恐ろしいのです」
 決定的な堕落。欲に溺れてしまった己。そして、愛する人を巻き込んでしまった罪――。許されない慕情は、ベール自身内包していたものなのだろう。が、己が弱さを見せなければ、一線を超えなかったかもしれない。己は、巫女に相応しくない――アシェラは苦渋を噛む。
「――巫女を辞めるのか? おまえは苦しむ者を前にして、放っておくことが出来るのか?」
 頭上から振り掛かった声に、アシェラは面を上げる。太陽王の顔をしたベールが真摯な面持ちで水の巫女を見ていた。目を見開く巫女の前に、ラ・ムーは跪く。
「わたしははじめておまえに術を伝授したとき、おまえのなかにある聖性を見つけた。おまえの内なる輝きは、罪を犯したくらいでは消えはしない。おまえは、苦しみの果てにあるものを見てみたくはないか?」
「苦しみの果てにあるもの――?」
 アシェラは呻吟する。
 苦しみの果てに、何があるというのだろうか――。犯してしまった罪をないものにすることは出来ない。罪を抱えて生きていく先には、闇しかないのではないだろうか。この世の絶対の神に背いて、光などあるのだろうか――。
 彼女の戸惑いを飲み込むような深淵を湛えたラ・ムーの眼が確固たる光を以て応える。
「神はあまねく大気であり光である。こころを潤す水であり生命を内包する大地である。
 わたしたちが至福のうちに結ばれたあの瞬間にも、神は側にいらしたのだ。神が罪として咎めようとしたのなら、いまわたしたちは無事ではないだろう。
 この世を創造した神は、もと両性であった人を二分し、男と女にした。男と女は人を生し、生命を受け継いでいくのを令として課された。
 が、神は巫には生命を生す営みを禁じられた。神の意思が那辺にあるのか、唯人である巫には計ることが出来ないが、巫のなかにその疑念をずっと受け継がれていたはずだ。――わたしも、神のこころが知りたい」
「ラ・ムー……」
 大陸が出来てからずっと存在してきた巫が、神にただひとつ問えなかった疑問。ある者は口惜しさに涙し。あるものは諦観でもって生を終えただろう。その疑問を、あえてラ・ムーは口にした。
「神にあわせる顔などない。が、あえて我々が結ぶのを許した神だ。神の意思は、我々の上にも振り掛かっていいるのかもしれない。罪の先には、光があるのかもしれない。
 アシェラ、我々は堰を超える恐怖を身に染みて味わった。だから、罪は互いの胸に秘め、太陽王と水の巫として生きていこう――」
 言葉を出せないアシェラの頬に手を添え、王が口づける。唇から太陽の、命の芯を煽る霊気が注がれる。これが、ベールが見つけた道なのだ――アシェラも、内から湧き出てきた水の霊気を王に送る。身体が活性化するのを感じ、ふたりは放れた。
「解りました――わたくしも、水の巫長の役目を果たします。もう弱味など見せません。
 ですから、わたくしが誰に抱かれても嫉妬しないでくださいね」
 アシェラは毅然として微笑んだ。ベールは瞠目する。が、唇の端を釣り上げ笑む。
「そうだな――それが、巫としての道なのだから」
 言うと、ベールはオリハルコンの鏡に寄り、手を翳す。他の鏡を通して、侍者に呼び掛けているようだ。アシェラは一息吐いて、裸出した空を見る。既に雨は上がり、夜が立ち込めていた。細かく砕いた貴石を鏤めたような、星々の輝き、そのなかで月がぼんやりと白い光を放っている。太陽の燦然とした鮮輝とは違う、青々とした冴やかさだ。
「よい月夜だ」
 同じく空を見つめているベールの声に、アシェラは彼を見る。ふふ、と微笑んでアシェラは軽く言う。
「……やはり、先程からわたくしのこころを読んでおられますね。読心できないとおっしゃったくせに」
 アシェラはラ・ムーをちらりと見、僅かに驚く。
 ベールの面に、哀しみが彩られていた。柔らかな笑顔のなかに、沈痛さが潜んでいる。
「ベール様……?」
 アシェラの問いに、ベールは目線を夜空に戻した。巫女は違和感を感じる。
 そうしているうちに、太陽の巫女がアシェラが禊場で脱ぎ捨てた衣と水色の石、乾いた衣を手にして扉から顔を覗かせた。一式の衣を受け取り、アシェラは手早く着付ける。
「折角の美しい星月夜だ。大陽の頂に行くか?」
 結晶石を懐にしまう巫女に、ベールを誘いをかける。
 アシェラの顔が、少女のように弾んだ。

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 水の巫が久方ぶりに見る大陽の塔はこの国の最も重要な祭祀場である。様々な呪具が置かれた荘厳な祭壇が目を引く。水の聖域でも見たことのない意味ありげな意匠の十種の宝具が、銀色の光を放つ。
 アシェラが太陽の頂に上がったのは、太陽王に巫の術を教えられた八年前以来だ。至近に円い月を目にし、アシェラは眩しげに目を細める。妙に胸が弾む。はじめてこの場所に通されたときのことを思い出し、巫女の頬が染まる。あのとき、アシェラは肉体の交わりがどういうものか何も知らなかった。巫の術を講義で聞いていたが、実際に行う――それも太陽王を相手にして――緊張と羞恥は予想以上のものだった。どうして太陽王が自ら己に術を教える気になったのか、ずっと疑問だった。他の巫に聞けば、そのような例は滅多にないという。己が稀な事例に遭遇したという事実に、まだ幼かったアシェラは戸惑った。
 感慨深く記憶を辿るアシェラに、意地悪な声が笑みを含んで頭上から降り掛かる。
「それは、おまえに他の者の印象を植え付けたくなかったからだ」
 背中から優しい腕にふわりと抱き締められ、アシェラの心臓が破裂しそうに鼓動を叩く。無防備な耳元に、低く響く声が注がれる。
「巫とはいえ人間だ。初めて身体に触れる人間の仕種や温もりは心身に長く残り、一生消えないこともある。はじめておまえを見たとき、わたしは欲しい、と思った。巫としての行為なら許されるので、前例がないことを知りつつおまえをここに上げた」
「な……!」
 アシェラは振り返り、活き活きと輝くベールの目に呆れる。
 確かに、アシェラのなかに彼の面影は生き続けた。それは今でも尾を引いて残り、越えてはいけない法を超えさせたのだが。が、彼女の脳裏に残っていたラ・ムーの像は成熟した男性の頼もしい姿で、まるで兄か父親のように包み込んでくれるものだった。こんな頑是無い子供のような姿ではない。否、これが、太陽王ではなくベールという生身の男の姿なのだろう。そう思えば、より胸が高鳴る。
 アシェラの鼓動の早さに、背を合わせているベールの心拍が重なる。巫女の白い首筋に青年の指が触れる。それだけで、アシェラにはたまらなかった。
「あ……あの! 巫として、なら触れていただいても構いませんが、男と女としての触れ合いはお断りしますわ。また暴走しかねませんもの」
 上擦る声で、アシェラは断言する。
「……そうくるか。面白いな」
 不敵な笑みを浮かべ、ベールは指先から太陽の霊気を発する。敏感な項に直撃する太陽の霊気に、アシェラは喘ぐ。
「ず、ずるい……ッ!」
 ベールは巧妙に巫女を意のままに扱う。慌てて護身の水の気を張り巡らせ、防ぎようもなく肌に男の唇を受ける。暖かさに彼女の心が絆されかけたその時、不思議な輝きが目に飛び込んでくる。濡れたようなしっとりとした煌めきが、十種の宝具から発されていた。ぼうとなりかけたアシェラの意識がさっと冷える。
「……ベール様。あの宝は……」
 抗っていた巫女の力が緩んだことに気付き、ベールはアシェラを見る。そして、彼女が目にしているものに視線を移す。王は巫女の身体を放し、祭壇に歩み寄る。アシェラもあとに続いた。
 月の放射を受けて、宝具は妖しく光っている。魂をつかみ取ろうとするような呪的な光に、アシェラの背筋に畏怖が過る。彼女の様子に、ベールは静かに口を開いた。
「――これは、神が齎した瑞宝だ。大陸が創造され、以来代々の太陽王に口伝による呪とともに受け継がれている」
「……代々の、太陽王に?」
 ラ・ムーを見上げ、アシェラは反芻する。太陽王の瞳が神妙さを帯びる。その目には唯人ではない聖性があった。罪を犯しても、この人はやはり太陽王なのだとアシェラは実感する。それも、他の太陽王より強い霊力を持つ。先程の雷が証明している。霊気の過剰な増幅と霊力の鋭さは、何か相互関係があるのだろうか。
「――ベール様は、何かわたくしに隠していらっしゃいませんか」
 アシェラは真直ぐにラ・ムーを見つめる。ベールは目を反らさずに巫女の眼差しを受けとめている。
 やがて諦めたように、太陽王は嘆息した。
「――神はこれから起こることに対し、わたしに手出しさせないようにしているようだ。
 神はわたしに、太陽王として過分な力を与えた。が、際の状態になって、わたしの力を封じようとしている」
 アシェラは瞠目する。神が、何かを引き起こそうとしている――。ラ・ムーは絶大なる力を有しているが、神は彼が干渉することを許そうとしていない。
「……これから、神が何かを為そうとなされているのですか」
 恐ろしく、嫌な予感。現在の人々の有り様に、神は怒りと嘆きを抱いている。神の意が人間から――離れようとしている?
「アトランティスの災害――もともと、アトランティスとこのムーは、同じ神を頂いていた。が、百年前の未曾有の天災で、アトランティスは海の底に沈んだ。我が国にも、被害が及び、痕跡が各地に残っている。
 我々のもとに残っている記録によれば――アトランティスの崩壊の原因は、人々が神から離れたことがなのかもしれぬ。爛熟した文化は人々の退廃を呼び、我欲が世相を蝕んだ」
「そ……それは……」
 アシェラは言い淀む。
 似ている。今のムーと、崩壊前のアトランティスが。恐ろしい符合に、アシェラの身体が震える。
 慄然とする巫女の目に、神の瑞宝の光輝が妖気を込めて差し込んでくる。まるで、神の意思のように――。アシェラは無意識に水の結晶石に手をやった。ひんやりとした霊気が、巫女の霊気に馴染む。
 縋るように上げられたアシェラの瞳と穏やかなベールの眼が交錯する。王の手が巫女の頭を抱き取り、懐に抱き締めた。アシェラは強くベールに取りすがる。
「アシェラ、わたしはもう大丈夫だ。だから、おまえは水の聖域に帰れ。
 そして、会う者に大陸の危機を伝えるのだ。
 これから、おまえが人々の導き手になれ」
 アシェラは顔を上げる。太陽王の滲むような優しさが、触れる肌から伝わってくる。
「本当に……あなた様は大丈夫なのですか?」
 不安に、アシェラは問い直す。本当は離れたくなかった。やっと確かめあった愛を、手放したくない。
 そんな巫女の切ない想いが、王の中に入り込んだようだ。ベールはアシェラの額に口づけし、抱く腕の力を強くした。
「自分を信じろ、水の巫長よ。
 この先、おまえには困難が待受けている。が、神はおまえを見放してはいない。否、神はおまえに期待している。
 次なる世に、おまえが必要なのだ――」
 はっと、アシェラは目を見開く。
 先見。太陽王の能力のひとつ。彼はこの力で、様々な予言を行ってきた。それは、すべて外れたことがない。これからの未来を、彼は見据えているというのか。その上での、予言なのか。
「――あなた様は……?」
 縋るような想いでアシェラは問い詰める。
 が、王から返ってきたのは、哀しい微笑み。暗い予感が、さらに膨らむ。
 強く唇を結ぶと、アシェラは水色の石をベールに差し出す。
「……解りました。わたくしは水の聖域に帰ります。心残りはありますが。
 だから……これを。水の結晶石です。太陽の霊気が苦しいときにお使い下さい。そして……わたくしだと思って、持っていて下さいませ」
 ベールは水色の石を感慨深く見入る。
 背伸びをすると、アシェラは自らベールに口づける。何ものも交じらない、想いだけを込めた接吻をし、腕を相手の背に廻す。巫女は水の霊気を掌から滲ませた。
「――でも、いまはわたくしの霊気を注ぐことが出来ます。
 また暫く会えませんから、今のうちに沢山身内に取り入れて下さい」
 アシェラの、強がりが見える誘い。
 ベールは切なく表情を崩すと、巫女を抱き上げ太陽の台に運ぶ。太陽の台は太陽の祭で交接を行うための寝台である。はじめて抱いたときのように、ベールは自らアシェラを高まりに導く。乳房に接吻し、唇はゆっくりとたおやかな下腹部に下りてきた。ベールは太陽の熱を更に込め、呪を施すように強く口づけする。子宮に鋭い愉悦が走り、アシェラは声を上げた。
 身体が交わったとき、ふたりは互いの霊力を消した。ただ、想いだけで激しく交歓する。罪など関係ない。もう、どうでもいい――ふたりは貪り、熱情を解放した。
 皎々とした月だけが、刹那の愛を確かめる恋人たちを照らしていた。

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 次の日、アシェラは巫達に聖域への帰還の仕度を号した。
 祭祀に支障がない程度にもちなおしたラ・ムーは政務に戻り、水の巫長の霊気を必要としなくなった。
 差し当って、彼女はカーディに襲われたときに迷惑を掛けた屋敷に謝罪をしに行くことにする。あまり大事にしたくはないので、アシェラはアッタルにだけ随行してもらうよう頼む。
 ひととおり事情を聞いたとき、アッタルは呆れ顔になった。
「おまえなぁ、ひとりで出歩くからこんなことになるんだ。どうして、最初から俺を頼らなかったんだ?」
 そう言って、アッタルはアシェラの額を小突く。兄のような優しさに、アシェラは照れて微笑む。アッタルはアシェラのことをなんでも知っていた。水の巫長でありながら多分に無鉄砲で、幼いところがある。それを解っていても、アッタルは咎めようとしない。
 白く輝く街並を歩きながら、ふとアッタルはアシェラのなかの何かを見咎める。
「……アシェラ。おまえ王宮に戻ってから、ラ・ムーに頼ったのか?」
 え? とアシェラはアッタルを見る。
「……身体に、太陽の気が残っている」
「あ……」
 言って、アシェラは赤面する。
「ラ・ムーはすべて見ておられたのよ。だから、危うくなったとき雷を落として助けて下さった。
 わたくしが王宮に戻ってきたことに気付かれたのも、あの方だった。そのまま、ラ・ムーが癒しの術を施して下さったの」
「ふぅん……」
 アッタルは腕を組み、ちらり、と横目でアシェラを眺める。
 アシェラは表情を崩さないように努めた。昨夜のことはラ・ムー……ベールとの間だけの秘密だ。どれだけ今までアッタルにこころを開け放っていても、これだけは明るみに出来ない。誰にも洩さない。そう思えば、これほど甘美でくすぐったい罪などない。
 噴水の涼やかな音が、水の巫達のこころを和ませる。泉に浮かぶ薄紅の睡蓮が優美だ。夾竹桃は盛りの華やかさを見せている。平和な街の光景――一見、何事も起こらないかのような。神はこの美しい楽園を見限ろうとしているのか――。アシェラは未だ信じられない。
 ふたりは細い路地に入り込み、昨日被害を受けた屋敷の戸を叩く。と、屋内から金槌で鉄を叩く音が聞こえてきた。アシェラはアッタルと顔を見合わせる。
 暫くして出てきた屋敷の主人は、腕に包帯を巻いていた。が、疲れなどはその顔から覗いていない。人のよさそうな円い眼が、水の巫女を認める。
「あぁ、昨日の――。水の巫長殿?」
 アシェラは瞠目する。どうして彼は己を水の巫長と知っている?
 騒然とした室内を窺うと、修理職人が傷ついた壁の補修をし、割れた器物よりも質のよい品物が配置されていた。
 屋敷の主人は朗らかな笑顔で、ふたりを屋敷内に入れた。
「あ、あの、わたくし……」
 アシェラは言いにくく口籠る。そんな巫女に、訳を知ったような面持ちで主人は頷いた。
「すべて、ラ・ムーのご使者から聞きました。危ないところだったのですね。あなた様を救った神の雷の偉力を、わたくし共も思い知りました。
 それに、あなた様がすぐに雨を呼んで下さり、最低限の炎上で済みました」
 言われ、アシェラは建物を見る。表面に煤が付いているのみで、下階に火災のあとは稀少だ。上階は寝台等燃えやすい物があったので、さすがに黒く焼け爛れている。
「本当に、すみませんでした。わたくしのせいで――…」
 アシェラは素直に頭を下げる。尊貴の巫長に謝罪され、主人は戸惑う。おろおろしている男を見兼ねて、後方で控えていたアッタルがアシェラの背を突ついた。アシェラは顔を上げる。と、苦笑する主人が巫女の手を取った。
「滅多に会えない水の巫長に頭を下げてもらうなど、勿体ないですよ。あなた様は良からぬ者に襲われていたのだから、さぞ恐い想いをなされたでしょう。
 ラ・ムーもわたくし達を助けて下さった。この国の主人は、いい方々ばかりだ」
 にこやかに言う中年の男を、アシェラは唖然と見る。そして、暖かく込み上げてくるなにかに、巫女は安堵した。
 ――まだまだ、人々は捨てたものではない。氷山の一角かもしれぬが、澄んだこころを持つ人もいる。
 これなら、人類の行く末に希望はあるかもしれない――。
 アシェラは男の手を取ると、主人の細君を呼ぶ。夫人が寄って来ると、彼女の手も巫女は握った。目を瞑ると、アシェラは水の霊気を漲らせる。夫婦は手から流れ込んでくる巫女の霊気に、驚きと畏敬を抱く。手から霊気を流したまま、アシェラは男女に告げた。
「今のままのあなた方を、見失わないで下さい。きっと、神はあなた方を救われる。どんなことが起ころうと、希望だけは捨てないで――」
 神々しい巫女の表情に、動揺して手を放すと、夫婦は揃って額突いた。慈愛の笑みを浮かべ、水の巫長は夫婦を見つめる。
 ――あなた方は、必ずわたくしがお救いします。神にあなた方の無事を乞い願います。
 敬虔な姿を見せる夫婦に見送られ、水の巫達は屋敷を去った。
 この日から三日後、アシェラ達はヒラニプラをあとにする。ラ・ムーは太陽の塔に詰めたまま、降りて来なかった。が、アシェラはベールのこころを、強い熱情をこころに受け止めていた。別れを告げなくても、魂は繋がっている。途切れない絆があると、信じている。船に揺られ、遠くなる太陽の塔を見つめ、アシェラは胸を押さえた。

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 水の聖域に戻ってから、アシェラは穏やかな生活を送っていた。
 サンテレイの三人の若者が訪れなくなり、静穏さが戻ってきている。アシェラは密やかに彼らの眠りと新たなる再生を祷る。
 ムーの死生感では、死んだものは前生の業を浄化するため、新たなる肉体を持って復活するといわれている。ムーの生物は神・ナラヤナの別魂(わけみたま)。生まれては浄められ神の一部に戻る。人の魂は不浄に塗れやすい。魂についた汚れを落とすため何度も人は生まれ変わる。男女はもと両性だったという思想とともに、死生感はムーの人々に受け入れられていた。
 アシェラが留守をしていた間、次長のネイラが聖域の巫達を取り仕切っていた。アシェラよりも五才年長で、もともと彼女が巫長となると目されていた。が、アシェラが巫長に推挙されたのは先の巫長の見たてと、ラ・ムーの推薦があったからだ。あからさまにネイラは悔しがり、後輩のアシェラに恨みを見せていた。ネイラの采配は確かなので、明らかに巫長になる器を持っている。今回のアシェラの不在で、それを見せつけていた。
 ――ネイラに比べたら、わたくしは罪に塗れていて、巫長に相応しくない。でも、ベール様と約束したもの……。わたくしは巫長を辞めるわけにはいかない。
 アシェラは固くこころに誓う。
 が、彼女のこころを、肉体は大きく裏切り始めていた。
 ヒラニプラから帰参して二か月、アシェラのなかから霊気がふつりと消えてしまった。水鏡を覗き込んでも、何も見えない。手から何も滲んでこない。あるのは、唯人とおなじ体温である。
 惑乱したアシェラは、誰にも見つからないようにアッタルのもとに行こうとする。
 ――兄様、わたくしおかしい。何かが変わってきている!
 錯乱して、アシェラは小走りに走る。椰子の茂る森を抜ける。
 その時、身体の一部――子宮が、熱く脈打った。赤子の宮から、水の霊気とは違う気が立ち上がる。異質な霊気は、一気にアシェラのなかを駆け巡った。
「――――!」
 これは――太陽の霊気。身体の一部から、異質なものが霊気を発している。アシェラはそこを手で押さえる。なにかが、ここにいる――。
 目を見開いた巫女の眼前に、虹色の光を放つ、七つの頭を持つ蛇が鎌首を擡げていた。雄と雌の両性を持つ聖なる蛇が、アシェラを見据える。
 ――神?
 聖なる蛇――ナラヤナが、アシェラのもとに這いずり、彼女の手で押さえられた何かに入り込む。神が熱い何かに吸い込まれたのを感じたとき、アシェラの意識が弾けた。
 ――神よ……これが、わたくしに下された罰なのですか……?
 消えかかる意識のなか、アシェラは神に問いかける。厳かな声が、頭に響いた。
 ――水の巫女、我が別魂よ。番(つがい)を分けられた魂が結合したとき、新たなるエネルギーが生まれる。運命は巡り始めた。次なる時を刻み始めたのだ。汝が得たのは、新たなる時の巡りの象徴。
 時の巡りの象徴……? アシェラは神に問いかける。が、返ってくるものはない。
 ――わたくしが得たものは……新たなるムーの命……。
 アシェラは眠りに引き摺り落とされる。さらさらと流れる川べりで、巫女は倒れ臥した。


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