(3)



 河間王孝琬(かけんおうこうえん)さまの今日の予定を反芻しながら回廊を渡る僕に、声を掛ける者がいる。
 振り返ると、よく見知った女人の顔があった。

「士隆殿、今宵殿はどのお妾をお召しになられるのでしょう?」

 この女人は孝琬さまのお妃・王琴蓮(おうきんれん)さまの侍女で、潘秀英(はんしゅうえい)殿である。
 孝琬さまは十六歳になられる少し前に北海王氏(ほっかいおうし)の姫君を正妃としてお娶りになれた。潘秀英殿は王妃さまが嫁いで来られるときに随伴して河間王府に入られたのである。
 北海王氏一族には、姉・英釵(えいさ)の御夫君・常山王演(じょうざんおうえん)さまのご友人であられる王晞(おうき)殿がいらっしゃる。
 王晞殿は姉と交流があるのか、王妃さまのもとに訪れられるとき、僕にさり気なく姉の様子を伝えてくださっていた。
 秀英殿の問いに、僕は苦笑いした。

「生憎、今宵は薛姫(せつき)さまと馮姫(ふうき)さまをお召しになられるようです」
「そうですか……仕方ありませんわね。お妃さまにそうお伝えしておきます」

 いつものごとく、秀英殿はあっさり納得して王妃さまのもとに戻られた。



「王、お妃さまと睦まれなくてよいのですか?」

 僕は家政に必要な書類を孝琬さまに手渡しながら、伺うようにそう言う。
 孝琬さまは唇の端だけで笑われる。

「妾ばかりと遊ばず正妃を持てと周りに言われたから結婚しただけだ。
 琴蓮も納得しているから、べつに構わんだろう」
「でも、お妃さまはお寂しいはずですよ?」

 王妃さまが嫁入なされてから二年、孝琬さまがお妃さまと閨を共にされる回数は少ない。お妾さま方とばかり夜を過ごされるものだから、家庭内に不和が起こらないか心配になってしまう。
 案じる僕の様子を面白がっていらっしゃるのか、孝琬さまは書類で僕の頭を叩かれる。

「人の心配ばかりしているが、おまえはどうなのだ?
 妻となる女は見つけられているのか?」

 孝琬さまのお言葉に、僕はむっとする。

「……暇があれば、妻を探すこともできるのですけどね」

 僕の精一杯の当て擦りを、けれど孝琬さまはあっさり躱してしまわれた。

「おまえはわたしの側近ゆえ、隙間なく時間を縛られているのだろうよ」
「解っているなら、少しお暇をくださいよ」

 ぶすっとしている僕を無視し、孝琬さまは書類に目を通していかれる。

「……間違えている。やり直しだ」

 突き返された書類を不請不請受け取り、僕は拗ねながら文面に目を移した。
 前とは違い、今は立派な側近になったのはいいけれど、孝琬さまは人使いが荒く、僕に自由な時間をくれない。
 孝琬さまの周りに関する雑用はすべて僕の仕事で、孝琬さまがお妾達と酒肴を楽しんでいらっしゃるときも、僕は菜汁類を忙しなく運ばされる。勿論、孝琬さまが女人方と閨に入られたあとも、宿直をしている。
 おかげで母に会いに後宮に行くことも出来ず、王府を出るのは孝琬さまのお供をするときくらいだ。

 ――それもこれも、孝琬さまが皇子よろしく我儘だから、僕は身動きが取れないんだよな。

 思わずため息を吐きかけたとき、じとっとした孝琬さまの目と鉢合わせした。

「……な、なんですか」
「今、こころのなかでわたしに対する不平不満を言っていただろう」

 ぎくりとして、僕はたじろぐ。

「そ、そんなことはないですよ!
 僕は孝琬さまの従順な下僕なんですから!」
「……どうだかな」

 まだ続く孝琬さまの探りを入れる目に、僕はげんなりした。
 本当に、孝琬さまは僕という人間を何だと思っていらっしゃるのだろう。僕に自由はまったくないのだから。
 そこまで思って、僕は嘆息する。
 謀反人の息子で、庶人に落とされた僕には自由など許されない。謀反人の子として監視されてもおかしくない立場なのだ。それを、婁太后さまや孝琬さまの温情により、側近としての身分を保障してもらっているのだ。
 ――僕は、文句を言える立場にない。
 僕は再度書類に目を落とした。



 夜が更け、孝琬さまはお妾さま方と寝所に入られた。僕は次の間にある壁に面した幅広の搨の上に寝転がる。
 閨と次の間は玉簾で隔てられているだけで、物音や匂いなどが筒抜けに伝わってくる。
 例のごとく、寝所に入られてすぐの頃は、甘えられるお妾さま方と、それにお応えになる孝琬さまの囁きが聞こえてくる。が、しばらくするとお妾さま方のあえかな喘ぎ声が耳に届いた。
 最初は閨のほうに身体を向けていた僕だったが、聞いていられなくなり、壁の方に寝返りした。
 正直、拷問に等しい。僕だって健康な男子である。女人の淫らな声を聞けば、おかしな気分にもなってくる。
 僕は起き上がり搨から降りると、物音を発てず部屋から出た。いつも僕は房事が終わるまで外で待機し、時間を見計らって戻ることにしている。
 欄干に手を掛け、僕は夜の庭をじっと見る。この時だけが、僕が自由になるわずかな時間だった。
 十八歳になり、大人とみなされる年齢になったが、いまの僕は男として何だか未成熟なような気がしている。
 ただひたすら孝琬さまにお仕えし、日常を忙殺されている。悲しいことに、女人と接する機会を今まで持てないできていた。
 僕はこのまま妻を娶ることもできず、子孫を残すこともないまま一生を終えるのか。ただ無為に朽ちていくだけなのか――。

「士隆殿」

 徒然に考えに耽っていると、急に声を掛けられ僕は驚いた。
 見ると、燭を手にした秀英殿が微笑んでいる。

「いつもお役目ご苦労さまです」

 労いの言葉を掛けてくれる秀英殿に、僕は目を丸くした。

「あの、どうしてここに?」
「昨夜、水差しの中身がなくなったので厨に汲みにいったところ、殿のお部屋の前で待機するあなたをお見掛けしたのです。
 お暇そうですから、少しでも退屈を紛らわすお手伝いが出来たらと参りましたの」

 声を潜めた秀英殿の言葉に、僕は少々面食らう。――僕を気遣って来てくれたのか。

「いえ、いいですよ。いつものことですし、慣れてますから。
 秀英殿も明日は仕事がおありだから、僕に構わず休んでください」

 こんな夜中に、僕の暇潰しに秀英殿を付き合わせるのは悪い気がする。僕は慇懃に断るが、秀英殿は引き下がらなかった。

「いいえ! 今宵はお付き合いすると決めて参ったのです。
 士隆殿が嫌だといっても、ここにおりますわ」

 気強く言う秀英殿に、僕は圧される。

「……どうしても、ですか?」
「どうしても、です」

 にっこり笑う秀英殿に、僕は困惑しつつも苦笑いした。

「……では、少しだけ。
 王が致されたあとには戻らなければならないので、そんなに長々と掛からないでしょう。
 じゃあ、ここを離れましょうか」

 笑って言う僕に、秀英殿は小首を傾げた。

「あの、ここでお話すればいいじゃありませんか」
「いや、ここでは……」

 時折お妾さまが極まられるのか、叫びに似た声が聞こえてくる。そんな妖しい声が聞こえる場所で妙齢の男女が顔を突き合わせるなど、何とも決まりが悪い。
 かといって、それを秀英殿に言うのも気恥ずかしい。

「……いいから、ここを離れましょう」

 僕は自ら彼女の手を引き、回廊を歩きだす。
 柔らかな皮膚の感触に、女性慣れしていない僕の心臓は破裂しそうなほど弾んでいた。
 回廊を曲がり苑池のある場所の前まで来て止まり、改めて僕は秀英殿と向き直る。気のせいか、秀英殿の頬が赤くなっているような気がした。

「……士隆殿も、強引なところがおありなんですね」

 意に介していないことを告げられ、僕は唖然とする。……強引だったのかな?
 思わぬ無礼を働いたことに、僕は自己嫌悪した。
 それが伝わったのか、秀英殿はくすくす笑いだした。

「でも、許して差し上げます」

 そう言われ、僕はほっとした。



 月明かりが眩しい回廊で、僕は秀英殿と飽くことなく話し合った。
 それぞれの目で見た孝琬さまや王妃さまのことや、面白い王府の使用人たちのことを笑いあいながら語り合った。
 が、さすがに僕の身の上や、ここに仕えるまでの経緯を話すことは出来ないが。
 話しているときは楽しく、時間の経過を忘れさせる。気付いたときには、既に戻らなくてはならない折を超えていた。

「では、お休み」

 慌てて孝琬さまのもとに戻ろうとする僕に、秀英殿は手を振って見送ってくれた。

 ――女人と話すことは、存外楽しいことなのだな。

 こころなしか歩く足が弾む。鼻歌を歌いそうな心地で回廊を曲がると、誰かとぶつかり僕は弾き返された。
 鼻を強かにぶつけ涙目になる僕の頭に、地を這うほど低い声が注がれる。

「……随分と楽しそうだったな」

 声の主にげっとし、僕は顔を上げる。

「こ、孝琬さま?!
 ど、どうしてここに! お妾さまたちは?!」

 動転している僕に、孝琬さまは座った眼で僕を見据えられる。

「いつも宿直の途中に抜け出しているのは解っていた。
 が、今宵はあまりにも帰るのが遅いので見に来てみれば、勤めを忘れて女と話し込んでいるとは……。
 側近としての自覚がないのか?」

 孝琬さまのお言葉に、僕はむっとして言い返す。

「僕だって普通の男なんです!
 あのような声や物音を聞かされたら、欲求不満で逃げ出したくもなりますよ!」
「だから、あの女子と仲良くし、隙あらばとって食おうというのか」

 あまりの言い様に、僕はかちんとする。

「そんなことしませんよ! 手の早いあなたじゃあるまいし!」
「それはそうだな。超奥手のおまえに、そんな器用な芸当は出来まい。
 そもそも、おまえはわたしの持ち物だ。勝手に恋だの結婚だのするのは許さぬ」
「な……!」

 人を持ち物呼ばわりするとは……酷過ぎのではないか? 結婚するのも、孝琬さまの許しなくば出来ないのか?
 確かに、謀反人の息子で庶人の僕は、孝琬さまに手渡された時点で所有物と見なされても仕方がないだろう。
 が、孝琬さまは、僕のこころと人格を無視し過ぎているのではないか?
 僕は孝琬さまが主だということを忘れ、思わず睨んでしまう。

「……僕の身柄は、すべて孝琬さまに握られているということですか」

 僕の凝視に、孝琬さまはうっそりと笑われる。

「そういうことだ。何を当たり前のことを言っている」

 孝琬さまの言葉に、僕は唇を噛む。
 当たり前のこと……その一言が重くのしかかる。僕に自由は……ない。
 これが、謀反人の息子の現実なのだ。

「眠い。部屋に戻るぞ、付いてこい」

 背を向け歩きだされた孝琬さまに、僕は黙って付いていった。



 僕に対する孝琬さまの目線が解り、僕のなかで孝琬さまへの不信と絶望が膨らんでゆく。
 孝琬さまは決して目に見えて優しい御方ではない。優しさでいえば、ご兄弟である孝珩(こうこう)さまのほうが、人当たりが柔らかい。
 それでも長年孝琬さまにお仕えしてこられたのは、表面が冷たくとも本当はお優しいところがあると解っていたからだ。
 その確信が、孝琬さまのお言葉で崩れさってゆく。結局孝琬さまのなかでの僕は、謀反人の息子で単なる所有物だったのだ。
 僕は孝琬さまに落胆していた。


 暗い渦に飲み込まれている僕を解っていらっしゃらないのか、孝琬さまの日常に変化はない。
 相変わらず僕をこき使い、お妾さまたちと濃密な夜を過ごしていらっしゃる。――ただ、孝琬さまはあの夜から、とてつもなく機嫌が悪かったりするが。
 毎夜孝琬さまの寝所から抜け出る生活も同じだが、少しだけ以前と違うところもある。
 潘秀英殿が必ず僕のところに来て、話をするようになったのだ。
 度に孝琬さまの閨から離れて話をするのだが、前のように失敗するのは都合が悪いので、時間を守って孝琬さまのもとに戻るようにしている。
 しかし、僕が秀英殿と夜毎話をしているのを知っているのか、毎朝孝琬さまは皮肉や嫌味を言われる。
 僕が秀英殿と男女の仲になるつもりはないと何度言っても、孝琬さまは聞いてくださらない。
 何を考えていらっしゃるのか、最近は秀英殿をお妾にすると言い出される始末だ。
 そう言われても、僕は否を言う筋合いはない。貴女が嫁いでくるときに連れてくる侍女は正妻公認の妾候補――添い嫁――であるので、王妃さまの感情論は別にしろ、主である孝琬さまが秀英殿に何をされても、本来構わないのだ。
 孝琬さまが王妃さまや秀英殿を悲しませないといわれるのなら、僕は秀英殿をお妾にされてもいいと思っている。
 上記のような事を言う僕のそっけない態度を聞くと、なぜか孝琬さまは怒りを納められる。またそれが、どうしてだか解らない。
 そういったことが交々にあり、孝琬さまと僕の間には歪みが出来ていた。



 僕と孝琬さまの間柄はこのような感じだが、世の中は更に難しくなっていた。
 ――主上の狂気は止まるところをしらない。
 皇帝にあるまじき姿で市井を徘徊しては、不平不満のある者を殺してまわられている。父君や兄君の妾妃さま方を犯すのに足らず、胡人や力士を用いて泣き叫ぶ妾妃さま方を鞭打ち、乱交していらっしゃる。
 更には、主上はお母君である婁太后さまを苦しめた罪で、高歓(こうかん)さまご鐘愛の女人であった彭城王太妃・爾朱氏(ほうじょうおうたいひ・じしゅし)さまを乱暴しようとなさったが、爾朱太妃さまが従われなかったので、一刀のもとに斬り捨てられた。
 酷い話は他にもある。我が父・高愼の友人であった崔暹殿が亡くなられると、主上は崔暹(さいせん)殿の第を訪れ、主上はそのまま夫の下に送ってやると仰り、崔暹殿の妻君である大伯母・李霜華(りそうか)さまを斬り殺された。
 この話には裏があり、崔達拏(さいたつだ)殿に降嫁された孝琬さまの妹君・楽安公主さまが、継母である大伯母さまにひどく当たられたのを怨みに思い、主上に密告されたのが由縁である。
 主上の凶行のなかで最も目を覆いたくなったのは、殊寵していらっしゃる嬪・薛氏さまが、後宮に上がる前に清河王岳(せいがおうがく)さまのものだったことを知り、主上が薛嬪さまを殺して遺体を解体し、琵琶にされてしまわれたことだ。宴席で薛嬪さまだった琵琶を見せられた誰もが身の毛がよだつほど怖がり、主上に解らないように胃の中身を吐いていたと孝琬さまが仰っていた。


 このような狂気の極みに達した主上に、今も公子・長恭(ちょうきょう)さまは辱めを受けられているのである。年始のご挨拶で幾度かお見掛けしたが、長恭さまの表情は陰鬱で生気がなく、厭世感が漂っていた。長恭さまを見るたびに、僕は御労しくなる。
 が、孝琬さまは旧態依然として長恭さまを憎んでいらっしゃる。年賀の際に長恭さまとお会いになられると、反応の無い長恭さまに構わず、孝琬さまは長恭さまをねめ付けられる。僕が長恭さまに同情するようなことを言えば、すぐさま言葉を遮られる有様だ。
 孝琬さまにとって、長恭さまはお母君・静徳皇后さまを辱められてしまわれた原因なのである。許そうとしても簡単にはお許しになれないのだろう。
 僕としては、孝琬さまと長恭さまに憎みあってほしくなかった。なるべくなら、高澄さまの皇子さま方すべてに仲良くしていただきたかった。
 そういう意味では、河南王孝瑜(かなんおうこうゆ)さまと孝琬さまも仲がおよろしく無い。嫡子としての矜持が高い孝琬さまと、高澄さまの最初の御子でご兄弟の年長者だというご自覚のある孝瑜さまでは、反発しあうのも無理ないことだ。
 幸い、ご次男である孝珩さまが円満にご兄弟の仲立ちをしてくださるので、掴み合いの喧嘩に発展するようなことはなかった。


 そういうご兄弟の齟齬を跳ね飛ばす出来事が、僕を巻き込みながらも次々起こった。
 そしてそれは、孝琬さまと僕の溝をも解消してしまうことになるのである。



 孝瑜さまがご自身の第を改築なされ、そのご披露のため宴を開き、ご兄弟を全員お呼びになることになった。

「どうしても行かねばならぬのか? 気が進まぬな」

 孝琬さまが皆に聞こえるような大きなお声で仰るので、王府のなかは吃驚していた。

「たまのご兄弟水入らずですし、ご参加なさったほうがよろしいと思いますよ」

 孝琬さまの外套を衣掛けに掛けながら、僕は当たり障り無くそう言う。
 孝琬さまに対するわだかまりを抱えたままだが、普段はおくびにも出さず過ごしている。
 以前と変わらないように告げる僕に、孝琬さまは鼻を鳴らされた。

「……宴に出席する際は、必ず華美な侍女をひとり連れてくること? 阿呆らしい」

 憎まれ口を叩かれる孝琬さまに、僕は苦笑する。

「侍女をお連れになるということは、僕は王府に居残りしていても構わないのですね」

 僕の言葉に、間髪置かず孝琬さまは付け加えられる。

「追伸、久しぶりに士隆にも会いたいので、絶対に連れてくる事」
「……えっ!?」

 思わず、僕は身を乗り出してしまう。

「僕も行かなくてはならないんですか?! 何でまた」
「……さぁな」

 孝琬さまは何かを含んだ応えを僕に返される。
 僕はあまり孝瑜さまにお会いしたくなかった。――姉や僕に執着を見せられたことを、未だ引き摺っている。その原因が母にあることを、僕は薄ら感じ取っていた。
 孝瑜さまと孝琬さまが通じ合わないご兄弟なので、幸運にも僕は孝瑜さまと会う機会を得なかった。
 が、今回はそうはいかない。僕も来るようにと、はっきり指定してある。――避けることなど、出来ない。
 憂慮を抱いている僕を、孝琬さまは意味ありげな目線で見つめていらっしゃった。



 改装された河南王府は、この世にある贅沢をすべて集めたといえるような、奢侈を凝らした建物だった。
 孝琬さまにお供して正門の前に立った僕は、あんぐりと口を開けてしまう。
 僕の前で第を見ていらっしゃる孝琬さまは、忌々しげに呟かれた。

「……父上の第の真似をしているではないか」

 孝琬さまのお言葉に、僕は主を見てしまう。
 王府の門をを潜ると、建物の壮麗さに目を奪われた。針葉樹の一木をそのまま何本か使った柱梁からよい匂いが漂い、鮮やかに朱塗りされている。土と石灰の混ぜ具合が丁度よい壁も、塗りの腕がよい職人のものと解る。
 最も秀逸なのが、回遊式の大きな苑池である。龍頭の船が浮かべられ、苑池を見下ろす場所には柳の揺れる亭がある。

「このどれもが父上の第にあったものだ。義兄の奴……」

 孝琬さまは苦く仰る。
 高澄さまが作られた第に、孝琬さまは静徳皇后さまとともにお住まいだった。この光景は孝琬さまにとって見慣れたもので、栄華を極めた過去の記憶を容易に遡らせるものなのだ。
 その建物を再現したのが、孝琬さまではなく孝瑜さまだったとは――。この建物は、己こそが文襄皇帝(ぶんじょうこうてい)の長子であるぞという誇りを見せつけるための、孝瑜さまの意地の結晶かもしれない。
 僕は孝琬さまのおこころの内を推し量られて、何も言えずにいる。
 そうしていると、長身の男性がこちらに向かってきた。――この第の主・孝瑜さまだ。

「よく来たな、孝琬。士隆も久しぶりだ」
「……約束どおり、見目良い侍女を連れてきた。それと、士隆も」

 仏頂面の孝琬さまに構わず、孝瑜さまはにこにこと話される。

「あぁ、感謝する。侍女は余興に使うから、楽しみにしているといい」

 そう言って、孝瑜さまは我々を先導される。
 広々とした庭院のなかに大きな卓子が置かれ、既に酒肴が置かれている。焼きながら肉を食べられるように即席の炉が作られていた。
 僕たちが到着する前に、他のご兄弟方も集まっていらっしゃる。末弟の紹信さまはまだ幼いので参加なされていないが、次男の孝珩さまと四男の長恭さま、そして五男の安徳王延宗(あんとくおう・えんそう)さまが席に着いていらっしゃる。
 それぞれの背後には、余興に使われるという侍女たちが控えている。やはり皆美しい女人を連れてこられており、それぞれ華に着飾っている。
 孝琬さまも指定の席にお着きになり、孝琬さまが連れてこられた侍女も所定の場所に立った。――僕の居る場所は無い。
 困った僕は後ろから孝琬さまに囁きかけた。

「あ、あの――…僕はどこに行ったら……」
「知るか。長兄が望んでおまえを呼んだのだ。わたしの知ったことではない」
「は、はぁ……」

 僕は本当に困惑した。
 辺りを見回しても、ご兄弟のなかで側近を連れてきている方は、誰もいらっしゃらない。
 身の置き所の無い僕は、そろりそろりと庭院を抜け出し、準備に忙しいだろう厨のほうに向かった。
 とりあえず今日は裏方に徹し、饗応する召使達と合流するのが無難だと感じた。
 孝琬さまにお仕えし始めた頃は、こういう下仕事ばかりしていた。だから、すぐに感覚を取り戻せた。冷たい酒を熱くし、炉にくべるための槇が足りないなら急いで割ったりした。
 庭院のほうでは宴が始まったらしく、賑やかな談笑が屋内にも響いてきている。
 僕は大忙しで召使の長が差配するのを手伝っていた。

 ――その時。

「そなた、誰じゃ?」

 僕が宴に出す料理の材料や酒が足りているか確かめていると、楚々として美しい装いの貴女が入ってこられた。
 中年と見受けられるその女人は僕に近付くと、まじまじと僕の顔を凝視した。

「……似ている、李昌儀(りしょうぎ)と」

 ――え?!
 壁際に追い込まれた僕は硬直し、女人の鋭い視線を受ける。

「そなた、高仲密(こうちゅうみつ)の縁者か?」

 どこかであった遣り取り。そう、これは孝琬さまにお仕えし始めた頃に馮橦瑳(ふうしゅさ)殿に浴びせられた質問だ。まさか、再び同じような事態に遭遇するとは。

「はい……そうです」

 唾を飲み込み、僕はやっとのことで吐き出す。
 ――年恰好からすれば、この女人は孝瑜さまのお母君である宋太妃(そうたいひ)さまか。

「……母のことをお怨みなのですね、宋太妃さま」

 僕の返答に、女人は身を起こされ冷たい笑みを浮かべられる。

「まぁ、存外賢いようだね。そう、わたくしは孝瑜の母じゃ。
 そなたの申すとおり、わたくしはそなたの母を憎んでいる」

 きつい眼差しに怯まず、僕は宋太妃さまを見返す。
 八年前とは違い、僕にも度胸というものが備わっていた。母が高澄さまの妾妃さま方に怨まれていることは、よくよく承知している。李昌儀の息子として、妾妃さま方の恨み言を聞くことこそ僕のせねばならぬことと腹を決めていた。

「母が文襄皇帝さまのご寵愛を受けたことで、宋太妃さまをお苦しめたことは充分承知しています。母に代わって僕が懺悔します。だから……」
「そなた、知らぬのか?」

 僕の懺悔の言葉に、されど太妃さまは驚いたように目を見開かれた。
 僕は狐につままれたように、笑い出す太妃さまを見ている。

「まぁまぁ呑気なこと。何も知らぬということは悲しいことじゃな」
「あ、あの……?」

 太妃さまの仰っていることが、よく解らない。
 くっと笑い、太妃さまは息を詰める僕ににじり寄られる。

「教えてやろうか、そなたの母の正体を……」
「……母の正体?」

 怖い、聞くのが。僕の知らない母を暴露されるのが――。

「そなたの母は……」
「母上ッ!!」

 太妃さまが魔の囁きを僕の耳に注ごうとなさったとき、孝瑜さまが厨に飛び込んでこられた。
 ちっ、と宋太妃さまは舌打ちされる。

「余計な事は話さないで下さい」

 太妃さまを見る孝瑜さまの目も、剣呑さが秘められている。
 太妃さまは僕から離れ、孝瑜さまの肩に手を添えられた。

「宴の主催者が中抜けなど、無粋なことですよ」

 仰ったあと、太妃さまは厨を出られる。
 生きた心地のしない一時に、僕の身体は壁を伝って滑り落ちた。

「大丈夫か? 真っ青な顔をしているぞ」

 案じてくださる孝瑜さまの言葉に、無理をして僕は笑った。

「あれだけ凄まれれば怖くもなりますよ」
「すまなかったな」

 孝瑜さまに腕を掴まれ、僕の身体は立たされる。

 ――にしても、宋太妃さまが仰ろうとした事は、一体何だったんだろう。

 僕はこころのなかで首を捻るが、それどころではないと孝瑜さまに向き直った。

「孝瑜さま、宴の中心人物がこんなところで何をしていらっしゃるんですか」
「今は自由時間なのだ。それどれが連れてきた侍女と兄弟で好きなように談話するようにな」
「孝瑜さまが仰っていた余興というのは、このことなんですか?」

 得心がいったように言う僕に、孝瑜さまはにやりと笑われる。

「まぁ、これもそのうちだがな。俺の弟たちは一部を除いて女旱だろう?
 だから、俺が世話を焼いてやろうと思ったのだ」
「それはいいことですね」

 口ではそういいながら、僕は違う事を考えていた。

 ――何というか……お節介かも。

 孝琬さまはともかく、孝珩さまは女性よりも興味のあるものがおありで、長恭さまはそれどころではない。孝瑜さまが女性との間を取り持っても、果たして上手くいくものか。
 まぁ、女好きの孝琬さまには、こういう時間はいいものだろう。呆れながら僕はそう思った。

「やはり、似てるな……雪華(せつか)と」

 どきり、として僕は孝瑜さまを見る。

 ――孝瑜さまは透き見するように僕を見ていらっしゃった。

 居心地が悪い。孝瑜さまは何を考え、僕を見ていらっしゃるのだろう。母のことだろうか?
 十八にもなって未だに女顔で、やはり僕は母とよく似ていた。だから、先ほども宋太妃さまに瞬時に当てられたのだ。
 が、孝瑜さまのこの目線は、なにか違うものも含まれているような気がする。

「あ、あの……」

 僕が言いよどんだそのとき、

「自由時間だから、我が側近に近付かれるのか? 兄上は」

 戸口に腕組みして立っていらっしゃる孝琬さまが、吹雪のような声で仰った。

「王! あなたこそ、侍女とお遊びにならないのですか」

 丁度いいと、僕は孝琬さまに近寄っていく。
 孝琬さまは肩を窄められた。

「逃げられたのだから、仕方があるまい」

 孝琬さまの告白に、僕は唖然とする。

「孝琬さまでも、女人に逃げられることがあるんですね」

 面白くて仕方ない現象に、僕は下僕であるということも忘れてしまう。
 孝琬さまは不機嫌そうに口をへの字に曲げられた。

「長恭が連れてきた侍女だ。女子としての弁えも無い子供だ」
「……長恭さまの?」

 そういえば、長恭さまの背後にいた少女は、気の強そうな顔をしていたかもしれない。
 孝瑜さまは気づかれたように、頷かれた。

「あぁ、あの笛の達者な娘だな」
「笛だけは、な」

 ぶすっとした顔で、孝琬さまは言われる。
 僕は孝琬さまを振ったというだけで、その少女に興味を持った。

「ちょっと僕、見てきま〜〜す」
「おい、待てっ!」

 孝琬さまが呼び止められるのも聞かず、僕は浮き足立って厨から出た。
 近寄る女を過たず射落とす我が主を振る猛者が居るとは、俄かには信じがたい。が、これが本当なら、とても楽しい。
 孝琬さまの側近として失格なことを考えながら、僕は庭院に歩み寄り木の陰に隠れた。

 ――あれ?

 その娘は確かに居たが、長恭さまと喧嘩するように話していた。
 あの表情の無い、生きる事を捨てているかのような長恭さまが、怒りを露にされるなど、信じられない。――まるで奇跡だ。

「――長恭のあの変貌ぶり、どうだ?」

 背後から密やかに声を掛けられ、僕は飛び上がりそうなほど驚く。
 後ろを見ると、同じように孝琬さまが隠れていた。

「……何してるんですか。覗き見は悪趣味ですよ」
「それはおまえも同じだろう」

 胡乱に見上げる僕に、孝琬さまは眉を顰めて仰る。
 そうしているうちに、女人から逃げてきたと思われる孝珩さまと延宗さまが、長恭さまたちのもとに近付いてくる。
 少女は孝珩さまと何かを話した後、懐から笛を取り出し唇に当てた。
 軽やかな音色が、空に舞い上がっていく。

「……わぁ。すごいじゃないですか」

 僕は覗き見していることも忘れ音に聞き入る。
 孝瑜さまが言われたとおり、確かに少女は笛が達者だった。玄人といって差し支えなかった。
 音楽が好きな孝珩さまは、追ってきた侍女に何かを頼まれた。しばらくして侍女は琴を持参してきた。少女の楽に、孝珩さまの琴の音色が加わる。
 僕は長恭さまに目を移し、瞠目する。

 ――長恭さまは少女を、これ以上ないほど柔らかな表情で見ていらした。

 自分の見たものが信じられない僕は、呆然と呟いた。

「あの、これって……」
「長恭の変化だろう」

 的を得た孝琬さまのお応えに、僕は振り返り頷く。

「長恭さまはその……色々あって、生きることを捨てていらっしゃったようにお見受けしたのですが」
「あの娘が変えたのだろうな。
 長恭は数ヶ月前にあの娘を周の将から助け、そのまま匿っているという」
「これは、もしかして……!」

 長恭さまが生きる望みを持たれる切っ掛けになるかもしれない。長恭さまの苦しい現実から、あの娘が救ってくれるかもしれない。僕はそう希望を持った。
 が、孝琬さまはそうではないらしい。 

「あの娘を我がものとしたら、長恭に一矢報いることができるかもしれぬな」

 孝琬さまのお言葉を聞いた僕は、がっくりと肩を落としてしまった。
 このひとは……魔物か何かじゃないか? 考えることが、あまりに非情すぎる。

「あの……長恭さまに怨みがあるのは解りますが、悲惨な目にお遭いになっている長恭さまをお可哀相だとは思わないのですか?」
「思わぬな、長恭を苦しめられればせいせいする」

 僕は孝琬さまの恨みの深さに、黙り込んでしまう。
 確かに、孝琬さまのお気持ちも解らなくはないけれど……。

「僕は王とは違って、長恭さまとあの娘がいい感じになればいいと思います」
「下僕の分際が、主に逆らうか?」

 本気とも冗談とも取れる物言いだが、僕は負けなかった。

「逆らいますよ、勿論。僕は長恭さまを応援していますから」

 にっこり笑ってそういう僕に、孝琬さまは眉を吊り上げられた。
 と、意見のかみ合わない僕ら主従のもとに、誰かが近付いてきた。
 気配を感じ取り、孝琬さまと僕は振り返る。
 いらっしゃったのは、孝瑜さまだ。

「何をしているんだ、おまえら。皆が集まっているのだから、庭院に戻ったらどうだ」

 呆れ顔の孝瑜さまに、僕は素直に従った。

「そうですね、そうされたほうがいいかも。僕は片付けの手伝いをしてきますね。
 ……河南王さま、目論見が外れて残念でしたね」
「まぁな、そんなこともあるさ」

 苦笑いする孝瑜さまに見送られ、僕は第内に入った。


 僕が宴の後始末をしている頃、またもや孝瑜さまによってややこしいことになっていた。
 それぞれの侍女を籤引きで交換し、妾として連れ帰るという提案だった。
 あとでそれを聞いた僕は眼を覆いたくなった。
 
 ――高澄さまの皇子さま方は、なんで変なことばかり思いつかれるのだろう。

 が、孝瑜さまの計画はまたも失敗した。
 孝瑜さまの侍女は孝琬さまのもとに行くことになり、孝珩さまの侍女は長恭さまが連れ帰られることになった。延宗さまには孝琬さまの侍女が付いていくことになり、長恭さまの侍女――杜蘭香(とらんこう)殿は孝珩さまの第に迎えられることになった。
 孝瑜さまや孝琬さまとは違い、孝珩さまなら絶対に彼女に手を出さない。彼女は多分長恭さまのもとに戻れる。
 僕は思わず手を打って喜んだ。


 が、孝瑜さまの本当の望みはそんなものではなかった。僕にとってそれは激しく危機的なことだった。このときの僕はそれを知らず、呑気に笑っていた。




「『酔っているだろうから一夜の宿を貸してやろう』だなんて、孝瑜さまはお優しいですね」

 僕は孝琬さまがお泊りになる部屋で、足りぬものがないか確認しながら、寝台に腰掛けていらっしゃる孝琬さまに言った。

「それも、義兄から渡された侍女を、ここでものにしてよいというのだからな。
 気が利きすぎて、なんだか気色が悪い」

 機嫌が悪い孝琬さまに、僕は嘆息した。

「あの、素直に喜ばれたらどうですか?」
「阿呆、これが喜んでいるように見えるか?」

 僕は笑いようがない状態に、肩を竦めた。
 確かに今の孝琬さまは気分を損ねている。素直になれなくてへそを曲げているのではなく、本当に嫌そうだった。

「身を清められてた侍女殿が参られましたら、いつもどおり次の間で控えます」
「で、また途中逃亡か?」

 からかっているのか皮肉なのか、孝琬さまはそう言われる。僕はむっつりとした。
 そう言いあっているうちに、寝衣に着替え髮を下ろした侍女が部屋に入ってきた。
 孝琬さまは侍女を寝台に手招きされ、僕はそのまま次の間に移動する。
 あとはいつもと同じだった。女人の喘ぎが漂い始める。
 僕は黙って部屋を出、真新しい庭をつくづくと眺めた。

 ――孝琬さまは思い出の結晶を、孝瑜さまに奪われてしまったのだ。

 本当は孝琬さまこそこの第を作りたかったのかもしれない。
 孝瑜さまと孝琬さまの間には、埋めるには深すぎる溝があるのだろう。
 何気なくそう思っている僕は、迂闊なことに人の気配に気づかなかった。


 傍らからぬっと腕が伸びてき、僕の口をふさぐ。もう片方の手で僕の身体は抱え込まれ、引き摺られるように回廊を移動させられた。
 殺される?! 僕は身の危険を感じ、口を塞ぐ指に噛み付いた。

「つっ……!」

 聞こえた声に、僕は耳を疑った。この声は……。
 背後から僕を抱いていた人間は、僕の口から手を離した。

「か、河南王さま……!」

 何で、どうしてこんなことに……混乱の極致にいる僕に構わず、孝瑜さまは僕の唇に接吻なされる。抗うことも出来ず舌を突っ込まれ、僕の口内は蹂躙された。
 口づけで声を塞がれたまま、孝瑜さまは肘で扉を開けられる。
 暗い部屋に連れ込まれた僕は血の気が引くのを感じた。男に口吸いされ、部屋に無理矢理連れ込まれる。これの意味することは……。
 僕は身を捩り抵抗しようとするが、大男である孝瑜さまの力は強かった。そのまま寝台に押し拉がれ、孝瑜さまは僕の胡服を力づくで剥ごうとなさる。
 手早く僕の帯を外すと、孝瑜さまは僕の手首を縛りつけられた。必死で顔を振って口づけから逃れた僕は、叫び声を上げた。

「こ、孝瑜さま、どうして……ッ!!」
「俺は、初めからこうしたかったんだ」

 耳元に囁かれた声に、僕の身体はびくりと弾んだ。
 ほぼ脱がせてしまった衣服の隙間から手を差し入れ、孝瑜さまは僕の身体を思うように愛撫される。胸の突起や下肢を弄り、僕の身体に悦楽を与えられる。
 何がなんだか解らない状態で、僕は惑乱した。身体が暴走する、熱を持ち始める。
 いつしか僕は涙を流していた。

「俺は、雪華が好きだった。なのに、雪華は俺を拒んでお祖母さまの女官となり、英釵やおまえを俺にくれなかった。
 憎んでも憎めず、雪華がどうしても欲しくてたまらない!」
「僕は、母上じゃありませんッ!!」

 喘ぎを洩らしながらも、僕は強く言い放った。

「ぼ、僕は、男です! 母上の代わりにはなりませんッ!」

 下穿きを脱がされ、下半身何も纏っていない状態にされた僕は、後花に痛みを感じた。

「――知っている。それでも、俺はおまえが欲しい」

 前と後ろ両方を嬲られ、僕は絶望を感じた。このまま、僕は堕ちてしまうのか――。
 痙攣するように震えてくる身体。自身の口から絶え間なく出る湿ったうめき声。
 ――嫌だ、こんなの嫌だ!!
 そう思っても、身体がいうことを聞かない。
 震えたまま孝瑜さまの手の中に快楽の証を迸らせ、僕は声を出して泣いた。

「……本当に、おまえは可愛い。可愛くてたまらない」

 後ろに埋まっているものを生々しく感じられる。本数を増やされ、淫靡な音を発てながら波打つように動かされる。

「嫌だ、嫌……助けて、孝琬さま……っ」
「孝琬など、忘れさせてやる。おまえは俺だけを感じたらいい」

 菊座を蝕んでいたものが引き抜かれる。今度来るものは……。
 僕は力任せに暴れ、扉に向けて叫んだ。

「孝琬さま、孝琬さまぁッ――!!」

 後ろから衣擦れの音が聞こえてくる。もう、駄目なのか、僕は犯されてしまうのか――。



 僕が強く目を瞑ったとき、バァン! と鋭い音を発て扉が開けられた。


「それ以上は、兄上でも許しませんよ。士隆はわたしの持ち物だ」


 ぞっとするほどの冷たさを湛えた声が、聞こえてくる。
 声の主は僕たちのもとに近付いてきた。

「孝琬……」
「放してもらえませんか。我が財産を侵害したことを、婁太后さまと主上に訴えます」

 主上に、という言葉が効いたらしい。孝瑜さまはゆっくりと僕を放された。
 意識が朦朧としている僕の頬を、孝琬さまが叩かれる。

「士隆、わたしだ、わかるか?」
「こ、孝琬さま……僕……」

 僕はそのまま孝琬さまの腕の中に倒れこみ、意識を失った。



 孝琬さまは僕を腕に抱え、その夜のうちに河南王府を去られた。
 僕はあまりの打撃から、それから何日か寝込んでしまった。




(5)に続く
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