(4)



 河南王孝瑜(かなんおうこうゆ)さまに半ば凌辱されてから四日後、眠り続けていた僕はやっと覚醒した。
 目覚めた僕の前に居たのは、河間王(かけんおう)妃・王氏さま付きの侍女・潘秀英(はんしゅうえい)殿だった。

「お目覚めになりました?」

 自分の部屋に女人がいることに驚き、僕は身体を起こす。

「酷く魘されていらっしゃいましたよ」
「あ、あぁ……何か口走っていた?」
「……いいえ」

 秀英殿の返答に、ひとまず僕はほっとする。
 暗い夢のなかで僕を蝕んでいたのは――孝瑜さまだった。ほとんど裸に剥かれた身体に逞しい手を這わせ、乳首や下肢をまさぐられる。その手は菊門にまで伸びてゆき、僕に痛みと快楽をもたらした。
 これは夢ではなく、現実にあったことだ。孝琬さまに助けていただかなければ、僕は最後まで犯されていた。
 屈辱、恥辱、自己嫌悪――それらが今僕を痛め付ける。
 僕は無理に笑顔を作って秀英殿に言う。

「あの、着替えるから外に出ていてもらえるかな」
「……おひとりで、大丈夫ですか?」
「大丈夫だから」

 それでも案じる秀英殿を説得し、僕はひとり自室にいた。
 着替えるため、僕は寝衣を脱ぐ。――そして、目を見開いた。
 身体のあちこちに、赤紫に鬱血した痕があった。胸といわず脇腹や下腹部にも情事の痕跡が残っている。孝瑜さまは身体の隅々に接吻を注いでいた。僕は愉悦を呼び起こされ、女のように喘いでいた。
 ――こころは拒絶しているのに、愛撫されれば身体は素直に反応する。
 人間の肉体は浅ましいものなのだ。僕は知りたくなかった事実に呻いた。

「服を脱いだままだと、風邪をひくぞ」

 戸口から聞こえた声にはっとし、脱ぎ掛けていた衣で身体を隠す。

「孝琬さま……」
「おまえの裸なら、あの時見ている。別に隠す必要はないから早く着替えろ。
 仕事が山ほど溜まっているのだからな」

 孝琬さまのお言葉に、僕は固まる。
 情交の最中に踏み込んで助けてくださったのだから、当然あの時の恥ずかしい姿を見られていたのだ。
 孝琬さまが入ってこられたところまでしか覚えていないが、多分僕の後始末などすべてこの方がされたのだ。
 一番知られたくない恥を隠すところなく知られてしまい、僕は死にたくなった。思わず涙が出てくる。
 見兼ねた孝琬さまが、僕の衣裳棚から胡服一式を出され、僕に突き出された。

「泣いていずに、早く衣を着ろ。
 おまえがいなかったことで、随分不自由な目に遭わされた。
 悪いと思うのならさっさと復帰しろ」

 身体を被っていた寝衣を無理矢理剥がし、孝琬さまは僕に下襦や袴を着させられる。
 てきぱきと手早い所作に、僕は茫然としていた。

「あの、わざわざそんなことされなくても……。
 僕が居なくとも、代わりの者がなんとかしてくれるでしょう」

 半笑いで言う僕を、孝琬さまは鋭く睨まれる。

「阿呆が、おまえほどわたしの近くに長く仕えた者はいないのだぞ。
 他の者で事足りると思っているのか」

 そう言って胡服の帯を結び終わられた孝琬さまに、僕はため息を吐く。
 本当に、この方はひとの気持ちを推し量って下さらない。いつも自分の思うがまま、他人を巻き込もうとする。――これでは、落ち込んでいる暇はない。

「いつもと精神状態が同じではないので、どこまで出来るかは解りませんが……仕事に戻りましょう」
「おまえの精神状態など関係ない。早く仕事に戻れ」

 孝琬さまはそう言って、部屋から出ようとなさる。
 扉の木枠に手を掛けたとき、孝琬さまは振り向かれ仰った。

「……おまえが受けたことは、恥でもなんでもない。
 昔から男同士の肉体関係はいくらでもある。この斉では、男同士が関係を結ぶのは普通のことだ」
「ですが……」

 自分から望んで関係を結ぶのと犯されるのでは、話が違う。望みあう幸せな関係なら快楽は陶酔であるが、凌辱による悦楽はこころを切り裂く暴力である。だから同列に扱えない。
 言い淀む僕に、孝琬さまは更に言葉を加えられる。

「男の身体は女と違って、快楽が直接的に結び付くものだ。自ら慰めるのと変わらぬ」
「でも、僕は……」

 普段なら他人に触れられることのない排泄するだけの場所を、女のように愛撫されてしまった。そしてそれに反応してしまったのだ。
 らちの開かない会話に、孝琬さまは痺れを切らされた。

「とにかく、ぐだぐだ悩むな、欝陶しい!」

 そう言い捨て、孝琬さまは回廊に出られた。
 僕は嘆息する。
 孝琬さまの慰めのお言葉も、空言に聞こえる。どんなに勇気づけられても、僕が汚れてしまったことに変わりはない。
 とりあえず必要として下さっているのだから、仕事に戻ろう――。僕は重い足を押して部屋を出た。



 孝琬さまに仕事に戻れと強要され復帰したものの、仕事に身が入らない。気が付けばあの夜の記憶が頭に甦る。始終虚ろなまま僕は家政に参加していた。

「――士隆!」

 呼ばれ、顔を上げる。
 憤怒の形相の孝琬さまが、うわの空な僕を睨み付けていらっしゃった。

「あ、どこまでいきましたっけ?」

 慌てて文書を繰る僕に苛立ちの頂点に達したのか、人払いをすると書類を几案に投げ出し、孝琬さまは僕の胸倉を掴まれた。

「やる気があるのか、おまえは!」

 孝琬さまの圧迫に、僕は目を泳がせる。
 暫らく硬着していたが、孝琬さまが手を放され僕は床にへたりこんだ。そのまま僕は姿勢を正し手を突く。

「まだ完全には戻ってません……少しお暇を下さい」

 そう言って顔を上げた僕に、孝琬さまは机を強く叩きつけられた。
 僕は暗然と怒りに震える孝琬さまの背中を見る。

「……義兄がわたしの持ち物に手を出したから、こうなっているのだ……許せぬ!」

 僕は悄然と呟く。

「むしろ、僕がただの持ち物だから、孝瑜さまは自由になさろうとされたのかもしれません」

 孝琬さまは振り返り睨み付けられる。

「わたしの持ち物をどうにかしていいのはわたしだけだ!
 それを勝手に触れるとは、権利の侵害だ!」
「孝瑜さまにも割りないご事情があって、僕を抱こうとされたわけで……」

 孝瑜さまは僕自身を求めて抱こうとされたわけではない。――我が母・李雪華(りせつか)の面影を求められていたのだ。僕のなかに母の幻影を見付け、それを自身のもとに止めようとなさったのだ。
 が、孝琬さまには問題外らしく、僕の言葉を遮られる。

「同じ事だ! おまえはわたしだけが自由にできるものだ!
 それに手を出そうなどと、おこがまし過ぎる!」

 孝琬さまの怒気の凄まじさに、僕は黙り込む。
 何だか、段々孝琬さまの仰っている趣旨が解らなくなる。僕を物と見られるなら、そんなに怒らずともいいはずなのに。
 それとも、自分の持ち物に手垢を付けられたから怒っていらっしゃるのだろうか。
 そう思うと、自分という存在が馬鹿馬鹿しくなってきた。

「……あの、僕に孝瑜さまの手が付いてしまってお嫌なら、また新しい持ち物を探せばよいではありませんか。
 今度こそ自分だけが自由に出来る持ち物を手に入れられればよいのです」
「……本気で言っているのか」

 えぇ、と言おうとして、僕はぎくりとする。
 僕の言葉に向き直られた孝琬さまのお顔は、本気で怖かった。

「義兄の手が付いたからお払い箱だと? おまえは単純だな」
「……はい?」
「義兄の手が付いたとしても、新たに塗り替えればいいだけの話だろう?」

 な……と言おうとしたとき、僕の唇は孝琬さまの唇で無造作に塞がれてしまった。そのまま舌を絡められ、僕は動転した。
 何で、どうしてこんなことを……!
 身体を捻り逃れようとする僕に、孝琬さまは僕の衣を掻き分け、袴のうえから柔々と下肢を弄られた。焦らすような触れ方に、びくり、と僕の身体が震える。息が乱れる。
 ――僕はまた犯されるのか。今度は主である孝琬さまに。
 立て続けに凌辱を受けるのに、僕の精神は耐えられなかった。
 接吻が終わったあと僕から出たのは、悲鳴だった。

 ――いやぁぁぁッ――!

 痙攣しながら泡を噴き、僕はもんどりうって床に倒れこんだ。



 失神してしまった僕は、再び寝台に逆戻りした。
 今度はまえよりもひどく、意識を取り戻してもなかなか起き上がれない。
 秀英殿が甲斐甲斐しく僕の世話をしてくれている。僕は彼女がいないときを見計らって涙を流した。

 ――孝琬さまは本気で僕を犯そうとなさった。自分を見失った僕に対して、僕が己の持ち物であることを知らしめるように。

 孝琬さまが途中で止められたことは、身体に変化がないので解る。それでも、また戻ったら犯されてしまうかもと思うと、怖かった。

「士隆殿、今日もまだ起き上がれなさそうですか?」

 朝食を運んでくれた秀英殿が、寝具を引き被る僕を覗き込んでくる。僕は彼女に顔を見せないまま頷いた。

「仕方がありませんね……士隆殿が戻って下さったら、殿も政務に身が入られるのに」

 びくり、と肩が動く。
 今、孝琬さまの御名を聞きたくない。
 が、秀英殿は話を続けられる。

「政庁のお机に向かわれるのはいいけれど、すぐに機嫌が悪くなられて、政務を打ち切られてしまわれるのよ。
 最近は、お妃さまやお妾ともさっぱり閨をともになさらないし……」
「……え?」

 思わず、僕は起き上がる。
 おかしい、絶対そんなことあるはずがない。夜毎絶えることなく女人を召されていた孝琬さまが、女色を断っていらっしゃるなどと。

「……あの、孝琬さまはどこかお身体がお悪いのですか?」

 秀英殿は肩を竦める。

「殿がお悪いのではなくて、殿のご寵愛の御方の具合が悪いの」
「孝琬さまのご寵愛のお相手……?」

 僕は首を捻る。
 いつも孝琬さまの宿直をしている僕だが、孝琬さまは特定の女人を格別に寵愛されていらっしゃることはなかった。
 孝琬さまはお妾さまを沢山有していらっしゃるが、どの女人にも思い入れが無く、広く浅くお召しになっていらっしゃる。
 僕の知るかぎり、孝琬さまがおこころを寄せられる女人はいなかった。

「……あの、僕が臥せっている間に、孝琬さまは新しい女人を王府に入れられたのですか?
 僕の知るかぎり、孝琬さまにはご寵愛なさっている女人はいませんが」

 秀英殿はかぶりを振られる。

「ご寵愛の御方は、早い時期から王府にいらっしゃいますわ。
 つい先日、その御方を兄君さまに寝奪られかけてしまわれ、殿はご立腹なのです。
 ご寵愛の御方は殿の兄君さまから受けた辱めから立ち直れず、未だ床のなかにいらっしゃるのです」

 ……ん?
 どこかであったことそのままのような……。
 というより、これは僕の身に起きたことそのままじゃないか!
 僕は悪戯っぽく笑う秀英殿を凝視してしまう。

「し、秀英殿、なんでそんな話になるの? それは僕にあった出来事じゃないか!
 それに、辱めを受け掛けたって、なぜ解るの?」

 当惑する僕に、しれっと秀英殿は言う。

「わたくし、殿に命じられて付きっきりで看病しましたもの。
 あの時の殿ったら、いつもより増して格好よかったんですよ。うち萎れた士隆殿を、貴婦人を抱くように抱えられ、真摯な表情でわたくしをお呼びになりましたもの。
 女人方に冷たく突き放した態度をとられる殿が、好いた女子を想うような男らしい表情をなさるなんて、びっくりですわ」
「あ、あの……?」

 何だか、妙な話になっているような……?
 好いた女人を想う男の顔って……変に誤解されている。
 くらくらする僕を尻目に、目をきらきらさせて秀英殿は話される。

「それを運悪くお妾さま方が見ていて、わたくし達にはあのような顔をされたことはないのに! と今嫉妬の嵐なのですよ」
「……で、嫉妬されているのは……」
「勿論、士隆殿ですわ」

 僕はがっくりとうなだれる。
 聞かなくても解りそうなことをあえて聞く僕は、相当自虐的なのだろう。
 そんな僕の気持ちをよそに、秀英殿はにこにこしている。

「本当に、士隆殿は殿に愛されているんですね〜〜。
 わたくし今度のことで、殿のことを見直しました。
 意識を失ったあなたを看病するために、わたくしをご自身の侍女として引き抜かれたのですよ。
 そのときのお言葉が、また面白くて……」
「あの……何と?」

 ここまでくると、多少のことでは驚かないぞという変な気負いが出てくる。

「『士隆の看病をすることを命ずるが、それ以上踏み込むことはならぬ。士隆はわたしの持ち物だ。士隆の時間はわたしのものであり、士隆の身の降り方を決めるのもわたしだ。必要以上に話をしてはならぬ』と」
「……僕がいつも言われていることと同じじゃないですか」

 拍子抜けした僕は、緊張していた肩の力を抜く。

「はじめは、わたくしも何てことを言われるのだろうと思いましたわ。
 士隆殿を物扱いなさるなんて、なんと冷たい主なのかと。
 でも、どうもそうではないということに気づいたんです」
「え? 何故だい、額面通り僕を下僕として扱っていらっしゃるじゃないか」

 他の事実などない。孝瑜さまの手垢が付いたこの身体を再び自身のもとに戻すため、孝琬さまは僕を抱こうとなさったのだから。――孝琬さまが僕を所有物だと見做されていること、端的に現している。
 が、秀英殿は度肝を抜くようなことを、僕に立て続けに告げた。

「殿はあなが眠っている間、ずっとあなたの様子を見にこられていたのですよ。とても心配なお顔をなさっていて、見ているこちらが痛々しいほどでした。
 これが、ただの所有物に対する態度かしら?」
「そ、それは……僕を愛玩動物か何かのように見ていらっしゃるのかもしれないじゃないですか」

 愛玩動物も、飼い主の持ち物である。飼い主が処遇を決め、どうにでもできる。

「殿はあなたを『自分の持ち物』と仰るけれど、そこには独占欲が見え隠れしているように見えますの。殿はあなたを片時も放そうとなさりませんもの。――お妾に夜伽をさせるときさえも。
 案外、あなたが側に居る事で、安心なさっていらっしゃるのかもしれませんわね。
 誰もあなたに触れてはならない。仲良く話してはならない。勿論、唾を付けてはならない。――でも、河南王さまがあなたを凌辱なさろうとした。
 だから、今度のことで殿は激しくお怒りなのですよ」

 確かに今度のことは、孝瑜さまが僕に唾をつけられたことに他ならない。

「今殿にとって、河南王さまは脅威に他ならないと思いますわ。
 あなたをすべて手に入れる一歩手前までゆかれたのですもの。
 そして傷ついているとはいえ、あなたがあの夜を思い出すことは、殿にとってあなたのこころを半分持っていかれたのと同義かもしれない。――あなたを半分奪われたと思われても、不思議ではない」

 僕は黙って秀英殿の話を聞いていた。
 彼女の話通りなら、孝琬さまの一部始終の行動の辻褄が合う。僕が孝瑜さまにされたことを思い出すことさえ、孝琬さまにとっては厭わしいものなのだ。
 傷を思い出すと、孝瑜さまの手つきや匂いが甦る。その声も、囁きも。まさしく僕は傷を反芻するとき、孝瑜さま一色に染まっていた。
 それが、孝琬さまのこころを酷く逆撫でしていたのか。だから、孝瑜さまと同じように僕を傷つけて、孝瑜さまが入ってこられないくらい自分で染め変えてしまおうと思われたのか。
 ――それはそれで、何だか情けない気がする。
 僕の男としての自己存在は、どこかに放り投げられている。孝瑜さまも孝琬さまも、酷い御方だ。

「でも、僕じゃなくても、孝琬さまは他に執着されるものを捜されればいいと思うんですが。
 それこそ、お気に入りの女人を見つけられるとか、違う優秀な側近を連れてこられるとか」
「それが出来るのなら、事件があったあとすぐにそうされていますわ。
 はっきり言いますが、今の殿は腑抜けですもの」
「ふ、腑抜け……?!」

 僕でさえはっきり言えない事を、秀英殿はきっぱり言ってのけた。

「ろくにお仕事も出来ず、あなたと河南王さまのことでずっと苛々し続けて、ある意味情けないですわよ。
 お妾とことに及ぼうにも気が散るのでは、最低ですわね」
「し、失礼だと思うよ、秀英殿」

 僕は止めるが、秀英殿の暴言は止まらない。

「いいんです、わたくしには言う権利があるのですもの。
 わたくしはあなたのことを好きだったのですよ。それなのにあの暴君は、あなたが自分のものだから、恋愛も結婚も駄目だというのですわ!
 でも、あんな痛い状態の殿を見ているほうが、何だか悲しいような気もしますの」
「し、秀英殿??」

 秀英殿の思わぬ暴走ぶりに、僕は唖然とする。
 秀英殿が僕のことを好きだというのも初耳だが、孝琬さまのことを暴君だとか痛いとか、よく言えたものだとある意味感心してしまった。

「わたくし、殿の代わりに言っちゃいますわよ!

 『士隆はわたしのものだ! だから誰も手を出すな!』

とね」
「あ、あの……それは秀英殿の妄想で、本当は違うかもしれないよ」
「だったら、殿の様子をご自分で確認して、直接殿にわたくしが言ったことをぶつけてみたらよろしいのですよ。
 ちょっと見ものかもしれませんわね〜〜」

 あまりに破れかぶれな言葉に、僕は少し呆れた。
 もしかして、秀英殿は人事だと思って楽しんでいないだろうか?
 それにしても、今の孝琬さまが腑抜けだとは……。
 孝琬さまは間違いなく素直でない。僕に言われているすべての言葉に裏があるとすれば、なかなか難しい。
 秀英殿の言うとおり、持ち物発言の裏が強烈な独占欲だとしたら、ある意味大変なことだ。僕はげんなりした。

「……で、隠れて孝琬さまの腑抜けぶりを探ろうにも、僕が近くにいたらすぐに見つけられてしまうよ」

 変な話だが、孝琬さまは僕が席を外していても、何故かどこに居るか突き止められる。妙に鼻がいいのかも、と僕は思っている。
 疲れたように言う僕に、秀英殿は微笑んだ。

「大丈夫です。わたくしに考えがありますから」



 僕は普段座った事のない場所――女性用の鏡台の前――に座らされ、顔に白粉を塗られていた。既に女物の衣に着替え、雲髮に結われている。
 僕の唇に紅を引くと、秀英殿は満足いったように胸を張った。

「出来ましたわ。とても美しい女人に見えますわね」

 秀英殿はそういうが、僕は違う感慨を抱いていた。

「――これは、母上のお顔だよ。孝瑜さまが僕を求められるのも、解るような気がする」

 え? という秀英殿に構わず、僕はつくづくと自分の女装姿を見ていた。
 ――やはり、僕は母上とよく似ているのだ。
 宮人・李昌儀(りしょうぎ)と違うところは少し広い肩幅と、女性にしては高いと思われる背丈だ。化粧を施してしまえば、母と見間違えられてもおかしくない。

「秀英殿、孝琬さまは李昌儀を見知っているから、この姿を見ても僕だと感づかれるよ」
「でも、ここに仕えている者は李昌儀さまを知ってはいないでしょう? いつもの姿をしているより誤魔化すことは可能ですわ。
 いつものあなたなら周りの者もすぐ気が付きますから、騒がれてしまうでしょう?
 この姿なら大丈夫ですわ」

 ――別の意味で心配だと思うけれど……。

 母・李昌儀は後宮の宮人のなかでもとくに美しいことで名を馳せている。それだから、人妻であったのに高澄さまに手を出されてしまったのだ。この姿で第を歩き回ったら、男どもが卒倒するに違いない。
 僕は気が進まないまま、秀英殿に手を引っ張られ部屋を出た。


 思っていたとおり、第内にいる召使たちは僕達が通りかかるたびに足を止め、酷い者は物を落とす有様だった。
 僕は秀英殿と同じく孝琬さまの侍女のふりをして、政庁に勤めている者に物品を差し入れる。召使が政庁の中に戻ると、そのまま僕は秀英殿とともに建物のなかを覗った。
 扉の奥には執務についていらっしゃる孝琬さまがいる。その側には、ちゃんと近くで補佐する者も居る。
 ――なんだ、僕が居なくても機能しているじゃないか。孝琬さまは僕が居ないと仕事が溜まると言われたけれど、嘘だったのだ。
 そう思うと、何故か落胆する自分がいた。
 が、見ているうちに、どうも違うということに気が付いた。
 書類を開いて真面目に仕事をしていらっしゃるように見えた孝琬さまだが、やがて書類を放り出し、不機嫌そうに頬杖を突かれた。孝琬さまの態度に困惑した近従たちが書類を目の前に見せて政務の続行を申し立てるが、孝琬さまはうるさそうに手で払ってしまわれた。

「……秀英殿が言われたとおりだね。孝琬さまは何をしていらっしゃるんだ」
「ね、その通りでしょう?」

 小声で言う僕に、してやったりという風に秀英殿ははしゃぐ。
 僕は身を屈めたまま政庁から離れた。
 自分の部屋に戻ると、僕はすぐさま髮に挿された簪を引き抜こうとした。

「え、もう女装を解かれるのですか? 勿体無い、折角の美人なのに」

 秀英殿の言葉に、僕は呆気にとられた。
 ――いや、あの、僕は女装したくてしたわけではないから。
 そう思ったが、当たり障りないことを返す。

「女装するというのは、何とも窮屈だね。
 元韶(げんしょう)さまは大変なことをなさっているのだなぁと解ったよ」

 複雑な結び方をしてある帯を外そうとしたとき、突然扉が開き、僕は驚いた。
 入ってこられたのは――孝琬さまだった。
 孝琬さまは秀英殿に目配せして、彼女を下がらせる。
 あとには、孝琬さまと僕がふたりきりになった。
 ――あんなことがあったあとだから、非常に気まずい。 

「……何て格好をしている。その姿を義兄に見られると、また襲われるぞ」
「き、気づいていらっしゃったのですか?」
「後姿を見ておまえだと解った。だが、本当に李昌儀にそっくりだな」

 僕は眉を顰めた。何度も言われたことだが、孝琬さまにまで言われると何故か嫌気が差してくる。
 にしても、後姿で解るなど、やはり孝琬さまの鼻は只物ではない。

「孝琬さまと橦瑳(しゅさ)殿が憎んだ李昌儀に、よく似ていますか?」

 開き直って言う僕に近寄られると、孝琬さまは僕の頤を取られた。

「……おまえが女なら、話はもっと簡単なのだがな」

 言われ、僕はどきりとしてしまう。
 孝琬さまの目には、奇妙な色気が漂っていた。僕は少し慄いてしまう。
 僕の脅えが伝わったのか、孝琬さまは手を放された。

「だが、わたしの持ち物であるおまえは男だ。
 ……とっとと着替えてしまえ」
「あの!」

 部屋から出ようとする孝琬さまを止め、僕は思い切って聞いてみた。

「秀英殿が孝琬さまの気持ちを代弁していました」
「……秀英が? 何を言ったのだ」

 ごくりと唾を飲み込み、一声で言う。

「『士隆はわたしのものだ! だから誰も手を出すな!』と。
 他にも、僕があの夜を思い出すことにより、孝琬さまは孝瑜さまに僕を奪られたと思っておられるとか、僕が側に居る事で、孝琬さまが安心なさっていらっしゃるとか言っていました」

 こんなふざけた話、普通否定するはず。僕も否定して欲しい。
 僕が襲われた夜の孝琬さまを見た秀英殿の妄想だと、孝琬さまにはっきりと仰ってもらいたい。
 が、孝琬さまの反応は、僕の願いを覆した。

 ――孝琬さまの顔全体が、燃えるように赤くなっている。

「あ、あの……孝琬さま?」
「ちっ……秀英め、余計なことを」

 え……この反応は……肯定?
 呆然とする僕を残し、孝琬さまは急ぎ足で部屋を出られた。
 未だ状況が飲み込めていない僕は、突っ立ったまま混乱した頭を鎮められないでした。
 そうこうしているうちに、秀英殿が部屋に入ってこられる。

「どうでした? 殿の反応は」

 問うてくる秀英殿に、僕は返事をできなかった。
 その反応を、秀英殿は答えと捉えたようだ。ふうっとため息を吐くと、僕が纏っている女物の衣装を脱がせ始めた。

「士隆殿も、御覧になってお解かりになったでしょう?
 殿にずっとあのままでいていただいては駄目ですわ」

 秀英殿の言葉に、僕は我に返る。
 そうだった、現在の孝琬さまは政務を出来る状態ではないのだ。――このままでは、駄目だ。

「秀英殿、どうしたらいいの?!」

 慌ててそう言う僕を寝台に座らせ、秀英殿は綿に油を染み込ませると僕の化粧を剥ぎだした。

「今さっきあなたと話されました殿は、普通ではありませんでしたの?」

 告げられ、僕は黙ってしまう。
 先ほどの腑抜けた状態ではないが、なにやら獲って食いそうな危うい空気を孝琬さまは醸していらっしゃった。

「……孝琬さまは、僕を抱こうとなさったんだ。
 だから、僕は再び失神した」
「知っていますわ」

 驚いて僕は顔を上げる。

「殿はあなたに仕掛けかけたが、あなたの身体が激しい拒否反応を示して倒れてしまったと仰いました。
 そのときの殿は、酷く取り乱していらっしゃいましたよ。
 もう殿は進んであなたを抱こうとはなさらないでしょう、あなたを失うのが怖いから」

 僕は目を見開く。
 孝琬さまは僕が気絶した後、こころ乱されたのだ。そして、もう触れないと――。

「でも、孝琬さまはあなたのなかにある河南王さまの幻影に脅えていらっしゃる。
 あなたが凌辱されかけたときの傷を舐めるたび、孝琬さまもずっと苦しまれる。
 だからあの時、殿はあなたに仕掛けられかけたのでしょう」

 僕は俯く。
 僕が孝瑜さまにされたことを思い出すたびに、孝琬さまをも苦しめる……。僕は孝琬さまに苦しんで欲しいとは思わないし、出来るなら苦しみを除いて差し上げたい。
 でも……今の僕では、駄目だ。

「駄目だよ……僕は……」
「あなたは、殿よりもご自分が大事なのですか?」

 言われて、僕ははっとする。
 ――僕は孝琬さまよりも自分が大事なのか?
 持ち物発言されてからは孝琬さまに不信感を抱いていたが、それまではこの方こそ我が主と思っていた。
 が、持ち物云々は孝琬さまの本心ではなく、素直でないこころの裏返しなのかもしれない。先ほど孝琬さまが見せられた態度は、それを如実に語っていた。
 それでも、今はただお側に居るというだけでは済まなくなっている。孝琬さまのお側に居るということは――文字通り身もこころも捧げねばならぬということだ。
 孝瑜さまに嬲られたことで傷ついたこころと身体が、それに耐えられるだろうか。

「秀英殿――言うのは簡単だけれど、怖くなって僕はまた孝琬さまを拒絶するかもしれない」
「そんなもの、致してみねば解りませんわ。河南王さまとの時とは違い、殿と致すのでは心構えが違うかもしれませぬ。
 まさか、前もって覚悟せずに参られるほど、あなたは愚かではありませんでしょう?」

 言われてみればそうだ。孝瑜さまに犯されかけたときは突然だったので、僕も混乱していた。が、孝琬さまのもとに行くときは覚悟をしていくだろう。

「あなたが本当の側近なら、取られる行動はひとつのはずですわ、士隆殿」

 そう言って笑う秀英殿に、僕は微笑んで頷いた。
 躊躇ってはいけない、ただ前に突き進めばいい。後がどうなるかはそのときだ。
 僕は自身が取る行動を見極め、拳を握り締めた。



 眉月が弧を描く夜。
 僕は寝衣に着替えると、静かに自身の部屋を抜け出て、孝琬さまの閨に向かった。
 音を発てずに部屋に入り込むと、本当に女人を召していないのか、暗い空間にまったく物音が無かった。

「――誰だ?」

 気配に気づかれたのか、孝琬さまが声を掛けられ、身を起こされる。

「お妾さまを誰も召されていないというのは、本当だったんですね」
「……士隆? どうしておまえがここに……」

 寝台に近寄ってきた僕に、孝琬さまは目を瞠られている。
 ふふっと笑い、僕は孝琬さまの寝台に腰掛けた。

「久しぶりにお話でもしようかと思いまして」

 孝琬さまがお妾さまを侍らされる前までは、僕は孝琬さまに呼ばれ夜遅くまで話し込んでいたりした。そのときは大抵夜明かししてしまうことになったので、僕自身は不満を覚えていたりしたが。
 孝琬さまは身を乗り出して、寝台の傍らにある燭台に火を点けられる。小さな灯りが燈り、改めて孝琬さまは僕を見、少し驚かれた。

「……珍しいな、髪を下ろしているのか」
「ちょっとした気分転換です。たまにはいいじゃないですか」

 いつもは髮を頭頂で一つに纏め髷を作っていた。遊牧民族である軍部――勳貴(くんき)の者は髮を編んで垂らしているが、僕は一応漢民族の者であるので、漢民族伝統の髪型をしていた。
 が、今は意識して背中まである髮を下ろしている。髪を下ろしたまま誰かに会うのは、漢民族の習俗では無礼と見做されていたが、今夜は下ろしてもいいだろうと思った。
 一呼吸置いて、僕は孝琬さまに聞きたかったことを尋ねた。

「……あのとき、どうして僕を抱こうとなさったのですか?」

 僕の問いに、孝琬さまは目を反らされた。僕は笑って言う。

「別に責めているわけじゃないんです。ただ聞きたいだけなんです」

 真っ直ぐ見つめる僕に観念されたのか、ややあって孝琬さまは口を開かれた。
 孝琬さまのお顔に、緊張が走る。

「いつまでも義兄を思い出すおまえに腹を立てたからだ。
 おまえはわたしの持ち物で、わたしだけが触れていいものだった。
 が、わたしが女と戯れている隙に義兄はおまえを攫い、おまえを凌辱しようとした。
 あまりに帰りが遅いので心配して見に行けば、戸口から聞いたことのないおまえの喘ぎ声が聞こえてきた。酷くなまめかしく、それでいて苦しげで……わたしのなかに今まで抱いたことのないような欲望が湧きあがってきた。
 が、おまえのわたしを呼ぶ声が聞こえ、わたしは助けに入った。
 ――おまえは裸体を晒して義兄に組み敷かれ、愛撫に乱れ身悶えていた。
 義兄からおまえを取り戻し、そのまま自分の第に帰ったが、おまえのこれ以上ないほど淫らな姿が脳裏から消えなかった。そんな姿をさせたのがわたしではなく義兄だと思うと、猛烈に腹が立った。……いや、これは嫉妬の域に入るかもしれぬな。
 目覚めたおまえが義兄にされたことを思い出すと、余計に嫉妬が強くなった。
 だから……おまえを犯そうとした」

 一息でそう言われ、孝琬さまは髮を乱暴に掻き揚げられた。

「まったく、情けない話だ……文襄皇帝(ぶんじょうこうてい)の嫡子が、みっともない姿を晒すとは」
「別にみっともないとは思いませんけれど? 人間らしくていいじゃないですか」

 僕の言葉に、思い乱れた表情の孝琬さまが顔を上げられる。

「それに、あんな目に遭わされたけれど、孝瑜さまと僕のこころはまったくすれ違っていましたよ。
 孝瑜さまはひたすら我が母を慕い、僕はただ恐れていた。
 僕はあなたの名前をずっと呼んでいたんですよ?
 たとえ孝瑜さまにどんな目に遭わされても、僕のこころは変わらなかったと思います。
 僕の主はあなただけですから。
 まぁ、持ち物持ち物と言われ、少し不満は抱いていましたけれどね」

 慌てて、孝琬さまは否定される。

「それは違う! 秀英が言い当てたとおりだ。……わたしは、おまえを持ち物とは思っていない。おまえはわたしのものだと思っていたのだ」

 僕はおかしくなり笑い出す。本当に不器用なのだ、我が主は。小さい頃から変わらないのに、素直に気持ちを出す御方ではないのに、いつの間にかそれを忘れていた。

「昼間の孝琬さまを見て、解りましたけれどね。
 でも、光栄だな。あんなに激しい独占欲というか愛着を抱いてもらっていたとは。
 僕を奪われかけただけで、政務に身が入らないくらい僕は愛されていたと解り、嬉しかったですよ。
 でも……僕は女じゃないけれど、抱けるんですか?」
「……みたいだな。おまえに口づけするなど、我ながら信じられなかった」

 ふぅん? と僕はにやついて孝琬さまを見る。
 何だか、羞恥され赤くなっている孝琬さまは、可愛い。

「孝瑜さまは僕と母を重ねていて、男の身体をしていることなど関係ない、ただ母の姿を写したものを抱きたいという感じだったけれど、孝琬さまは男である僕がいいと仰るんですから、孝瑜さまに比べたら僕を見てくださっているのだと思いますよ。
 孝瑜さまにとって、僕は母の形代でしかなかったんです。
 でもあなたは、僕のあの時の姿に欲情されていたみたいだから、僕だけを真っ直ぐ見てくださっている」
「……あのな、どういうつもりでそんなことを言っているんだ?」

 ほんのり目元を赤くされて、孝琬さまは僕を見られる。
 もしかすると、孝琬さまは多くの女人と関係を持ちながらも、こういう状況をあまり持っていらっしゃらないのかもしれない。
 僕は微笑み、一世一代の誘惑をする。

「……どのようにお取りになっても、構いませんよ。
 あなたは僕を思い通りに出来る主なのだから。僕はあなたのすべてを受け止めます」

 僕の言葉に、孝琬さまは瞠目される。
 強張った手で僕の肩を掴み、孝琬さまは僕の唇に唇を重ねられた。
 ほんの軽い触れ合いのあと、孝琬さまは顔を離される。

「……後悔しても、知らぬぞ」

 そう言われた孝琬さまに、僕は自ら口づけした。
 孝琬さまは僕の衣をすべて脱がされ、一糸纏わぬ僕の肌を愛撫される。突き出た胸の宝珠を吸い、身体をゆったりと淫らに撫で回される。
 僕は知らぬ間に喘ぎ声を上げていた。孝瑜さまに触れられたときほどの恐怖はない。不思議だが、何故か愛しいとさえ思えてくる。
 それは僕がこの方の真実を知っているから。本当は優しいのだけれど、思ったことを素直に言えない不器用な方。とても僕を愛してくれているのに、微妙な言い方でしか現せなかった方。この方は僕を自分のものだと思ってくださっている。身も心もすべて自分のものだと主張される。そしてそれを崩されかければ、脆く壊れてしまいそうな弱さもある。
 だから、僕はこの方にすべてを捧げる。この方のものであったのに先に奪われてしまった切ない喘ぎも、性急な手つきに放恣に乱れる淫靡な姿も。――孝瑜さまが最後まで摘み取れなかった僕の花も、この方に捧げる。
 痛みと快楽のない交ぜになった感覚に、僕は泣きながら孝琬さまに縋る。僕に応えるように抱き締められながら、孝琬さまは想いを遂げられた。
 息を荒げながら隣に横たわられる孝琬さまに、僕は微笑んだ。

「……別に、嫌じゃありませんでしたよ。ちょっと恥ずかしい姿を見せてしまったかもしれないけれど」

 気怠げな目をもたげ、孝琬さまは皮肉を言われる。

「当たり前だ。あれほど派手に喘ぎ乱れていたのだからな」
「あ、酷いですね。ねっとりと触り放題に責められたのはあなたじゃないですか。
 そういう孝琬さまも、僕のなかではかなり激しかったのに」
「う、うるさい!」

 照れたように言われる孝琬さまに、僕は楽しくなる。

「これで、満足されたでしょう?
 孝瑜さまには最後まで致されていなかったんですから、僕の持ち主としての面子も立ちますし」

 孝琬さまのひねくれた言葉を逆手にとって僕は言う。
 ばつの悪い顔をして、孝琬さまはそっぽを向かれた。
 何だか、こんな孝琬さまを見ると意地悪をしたくなる。

「あ〜〜でも、女性ともまだだったのに、男性と先に身体を交わしてしまうなんて。
 僕も孝琬さまみたいに女性とも交わってみたいですよ」

 途端に、不機嫌そうな顔をして孝琬さまはこちらを見られる。その目は、少しばかり座っている。

「……まだ言うか。おまえはわたしの持ち物だから、勝手に恋愛や結婚をすることは許さんと言っただろう。
 それに……これからは他人に目を向けられぬよう、おまえの身体をわたしに縛り付けることもできるのだからな。
 他の者では満足できぬようにしてやろう」
「……え?」

 そう仰って再び覆い被さってこられた孝琬さまに、僕は藪のなかの蛇を突き出してしまったのだと悟る。
 目の前には、ぎらぎらと欲望を露にした孝琬さまのお顔があった。

「あの、今夜はもういいでしょう?! お妾さまとも一夜に一度なのだから、いつも通りもう寝ましょうよ!」
「ならぬな、今宵はわたしの気が済むまで付き合ってもらう」
「え〜〜っ!」



 僕は反抗して叫んだが、結局無駄だった。
 この夜、僕は朝になるまで孝琬さまと長々と情交を続けるはめになった。
 やりたい放題な交わりが次の日の政務に響いたのは、言うまでもない。




(6)に続く
蘭陵王
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